学園3部作と呼ばれる「高校3年生」「修学旅行」「学園広場」が立て続けに大ヒットし、橋幸夫さん、西郷輝彦さんと共に「御三家」と称されて、アイドル的な人気を博した、舟木一夫(ふなき かずお)さん。

今回は、舟木一夫さんの、若い頃(歌手デビュー)から現在までのシングルや経歴を時系列でご紹介します。

舟木一夫

「舟木一夫の生い立ちは?幼少期は母親がのべ9人!中1から歌手を志していた!」からの続き

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舟木一夫は18歳の時に「高校3年生」でデビューするといきなり100万枚を売り上げる大ヒット

1962年、高校2年生の夏、地元、名古屋で行われた「松島アキラショー」で、客席からステージに上がり、松島アキラさんと「湖愁」を一緒に歌ったことから、芸能関係者にスカウトされたという舟木一夫さんは、

翌年の1963年5月、上京して作曲家の遠藤実さんのレッスンを受けると、翌6月、18歳の時には、「高校3年生」でデビューするのですが、

なんと、この「高校3年生」は、発売1年で100万枚という驚異的な売上を記録。

「高校3年生」
「高校3年生」

さらに、舟木一夫さんは、その2ヶ月後には、同名映画「高校3年生」で主演を務めているのですが、この映画も大ヒットとなり、

この年の年末には、「第5回日本レコード大賞新人賞」も受賞するなど、舟木一夫さんは、瞬く間にスターとなっています

「高校3年生」
映画「高校3年生」より。

(ちなみに、舟木一夫さんは、この年の4月に高校は卒業していたそうですが、恩師・遠藤実さんの指示で、異例の学生服姿でのデビューとなったのだそうです)

舟木一夫は18歳~23歳の時「修学旅行」「学園広場」「仲間たち」などがヒットしていた

また、舟木一夫さんは、その後も、

  • 1963年「修学旅行」
    「修学旅行」
    「修学旅行」
  • 1963年「学園広場」
  • 1964年「仲間たち」
  • 1964年「花咲く乙女たち」
  • 1965年「北国の街」
    「北国の街」
    「北国の街」
  • 1965年「たそがれの人」
  • 1965年「高原のお嬢さん」
  • 1966年「哀愁の夜」
  • 1966年「絶唱」
  • 1967年「夕笛」
    「夕笛」
    「夕笛」

と、ヒットを連発しているのですが、

「高校3年生」「修学旅行」「学園広場」のような青春ソングだけではなく、「絶唱」「夕笛」のような抒情歌も、情感たっぷりに歌い上げるなど、その抜群の歌唱力で不動の地位を確立しています。

舟木一夫は20歳頃、橋幸夫、西郷輝彦と共に「御三家」と呼ばれ人気を博していた

そんな舟木一夫さんは、同じ時期に人気を博していた、橋幸夫さん(1960年デビュー)、西郷輝彦さん(1964年デビュー)と共に、アイドル的な人気を博しているのですが、

西郷輝彦さんがデビューした後、雑誌「平凡」が、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの3人の対談を企画したそうで、そのタイトルが「御三家」だったことから、

その後も、3人は、そのまま「御三家」(「有力・有名・人気」な3者を称する表現)と呼ばれるようになったそうです。

「御三家」
(左から)舟木一夫さん、橋幸夫さん、西郷輝彦さん。

「御三家」同士ではライバル視していなかった

ちなみに、舟木一夫さんは、当時の3人の関係を、

3人それぞれ忙しすぎて年に2~3回しか顔を合わせない。雑誌の企画とか、大みそかの歌の番組とかで会うぐらいで、私生活ではお互いに会っている時間がない

と、語っているのですが、

ライバル関係だったかについては、

周りの方がヒートアップしていた(だけ)

と、語っています。

また、舟木一夫さんは、その後、2000年には、橋幸夫さん、西郷輝彦さんと共に、全国100カ所以上を巡る「G3K(御三家)」ツアーを開催しています。

舟木一夫は「御三家」で最後の一人となっていた

そんな「御三家」も、2022年2月20日には、西郷輝彦さんが、2025年9月には、橋幸夫さんが他界されており、舟木一夫さんは、

西郷輝彦さんについては、「芸能生活60周年記念ロングコンサート」の取材会で、

(2022年は)いろんなこと、いいこともつらいこともあった。一番つらいのは、輝さんが旅立ったこと。まだ吹っ切れていないので、自分が歌っていると、輝さんをここに立たせたいと思ってしまう。

自分がやってるうちは、彼は過去にはならない。でも、寂しさを乗り越えたわけではないけど、輝さんのおかげで、5~6月くらいからステージに立つ気持ちが変わってきた。むこうは上のほうで『なんであいつばっかり』って言ってるかもしれませんけどね

と、語り、

(特に、西郷輝彦さんとは、後に、長年に渡って、公私ともに交流があったそうです)

橋幸夫さんについては、通夜に参列した際、取材に応じ、

病状のことを伺ってはいたので、心配はもちろんしていた

(橋さんが亡くなったのが)82歳でしょ? 今どき早すぎるとも言えるんですけどね。驚くとか悲しいとかそういう感じではなくてね、自分の履歴書の中の1行が抜けちゃったみたいな、そんな印象を受けたんです。

(自身にとって橋幸夫さんは)やっぱり偉大な先輩でしょう

と、語っています。

「御三家」
(左から)舟木一夫さん、橋幸夫さん、西郷輝彦さん。

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舟木一夫のシングル

それでは、最後に、舟木一夫さんのシングルをご紹介しましょう。

  • 1963年「高校三年生」
    「高校3年生」
    「高校3年生」
  • 1963年「修学旅行」
    「修学旅行」
    「修学旅行」
  • 1963年「学園広場」
  • 1963年「仲間たち」
  • 1963年「聖夜」
  • 1964年「叱られたんだね」
  • 1964年「あゝ青春の胸の血は」
    「あゝ青春の胸の血は」
    「あゝ青春の胸の血は」
  • 1964年「涙の敗戦投手」
  • 1964年「君たちがいて僕がいた」
  • 1964年「貝がらの唄」
  • 1964年「東京新宿恋の街」
  • 1964年「まだみぬ君を恋うる歌」
    「まだみぬ君を恋うる歌」
    「まだみぬ君を恋うる歌」
  • 1964年「しあわせの星二つ」
  • 1964年「アロハ・オエ」
  • 1964年「おみこし野郎」
  • 1964年「花咲く乙女たち」
  • 1964年「青春の大阪」
  • 1964年「右衛門七討入り」
  • 1965年「火消し若衆」
  • 1965年「北国の街」
    「北国の街」
    「北国の街」
  • 1965年「成人のブルース」
  • 1965年「竹千代音頭」
  • 1965年「東京は恋する」
  • 1965年「あゝりんどうの花咲けど」
  • 1965年「渚のお嬢さん」
  • 1965年「たそがれの人」
    「たそがれの人」
    「たそがれの人」「たそがれの人」
  • 1965年「浜の若い衆」
  • 1965年「あゝ鶴ヶ城」
  • 1965年「高原のお嬢さん」
  • 1965年「歩いて行こうよどこまでも」
  • 1965年「東京百年」
  • 1966年「山のかなたに」
  • 1966年「哀愁の夜」
    「哀愁の夜」
    「哀愁の夜」
  • 1966年「友を送る歌」
  • 1966年「今日かぎりのワルツ」
  • 1966年「敦盛哀歌」
  • 1966年「踊ろうぼくと」
  • 1966年「太陽にヤァ!」
  • 1966年「絶唱」
    「絶唱」
    「絶唱」
  • 1966年「ジングル・ベル」
  • 1966年「ブルー・トランペット」
  • 1967年「一心太助 江戸っ子祭り」
  • 1967年「星の広場へ集まれ!」
  • 1967年「夏子の季節」
  • 1967年「心こめて愛する人へ」
  • 1967年「夕笛」
    「夕笛」
    「夕笛」
  • 1967年「センチメンタル・ボーイ」
  • 1968年「くちなしのバラード」
  • 1968年「残雪」
  • 1968年「知りたくないの」
  • 1968年「夜霧の果てに」
  • 1968年「オレは坊っちゃん」
  • 1968年「荒城の月」
  • 1968年「銀色の恋」
  • 1969年「青春の鐘」
  • 1969年「永訣の詩」
    「永訣の詩」
    「永訣の詩」
  • 1969年「追憶のブルース」
  • 1969年「ああ!!桜田門」
  • 1969年「夕映えのふたり」
  • 1969年「北国にひとり」
  • 1970年「再会」
  • 1970年「青年の唄」
  • 1970年「紫のひと」
  • 1970年「霧の街」
  • 1971年「あゝ名古屋城」
  • 1971年「日曜日には赤い薔薇」
    「日曜日には赤い薔薇」
    「日曜日には赤い薔薇」
  • 1971年「春の坂道」
  • 1971年「初恋」
  • 1972年「遥かなる草原」
  • 1972年「麦笛」
  • 1972年「帰郷」
  • 1972年「流浪」
  • 1973年「都井岬旅情」
  • 1973年「少年いろの空」
    「少年いろの空」
    「少年いろの空」
  • 1973年「親不孝通り」
  • 1973年「サンチャゴの鐘」
  • 1974年「旅路」
  • 1975年「愛の新雪」
  • 1975年「むかえ火」
    「むかえ火」
    「むかえ火」
  • 1975年「許されるなら」
  • 1976年「別れの部屋」
  • 1976年「レマンのほとり」
  • 1977年「一葉舟」
  • 1977年「快傑!!児雷也」
  • 1977年「愛はまぼろし」
  • 1977年「春哀し」
  • 1978年「立ち話」
  • 1979年「ららばい」
    「ららばい」
    「ららばい」
  • 1980年「グッド・バイ・ソング」
  • 1980年「どうしているかい」
  • 1981年「さんざしの花」
  • 1982年「愛だなんて言うまえに」
  • 1983年「つばさ」
  • 1990年「落日のあとで」
  • 1991年「友よ」
  • 1992年「人生半分」
  • 1993年「泣かないで」
  • 1994年「ありがとう あなた」
  • 1995年「風、好きに吹け~迷夢本望~」
  • 1996年「Love Letters」
  • 1996年「想春」
    「想春」
    「想春」
  • 1997年「君へ心こめて」
  • 1999年「君よ 振りむくな」
  • 1999年「燃えよドラゴンズ!’99」
  • 2000年「想い出カフェ・オ・レ」
  • 2000年「蜃気楼」
    「蜃気楼」
    「蜃気楼」
  • 2002年「浮世まかせ」
  • 2004年「恋唄」
  • 2006年「船頭小唄」
  • 2012年「明日咲くつぼみに」
  • 2014年「眠らない青春」
  • 2015年「春はまた君を彩る」
  • 2017年「みんな旅人」
  • 2018年「「その人は昔」のテーマ」
  • 2022年「湖愁」
    「湖愁」
    「湖愁」

と、1963年~2022年まで、実に約60年間に渡り、115枚のシングルをリリースしています。

(特に、1963年~1969年は、最も活発な時期で、毎年、複数枚リリースしています)

「舟木一夫は和泉雅子と「絶唱」他でゴールデンコンビ!私生活でも親しかった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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