2000年に公開した「バトルロワイアル」が大ヒットを記録した、深作欣二(ふかさく きんじ)さんは、2002年には、続編となる「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の製作発表を行い、意欲を燃やしておられたのですが・・・志半ばで病に倒れてしまいます。

「深作欣二のバトルロワイヤルほか監督作品を画像で紹介!」からの続き

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前立腺ガンが全身の骨に転移

2000年に公開した「バトルロワイアル」が大ヒットを記録した深作さんですが、この作品は、高見広春氏の同名小説を原作としていたこともあり、2002年9月25日には、続編ながら、完全オリジナル作品として、「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の製作を発表。

ただ、その際には、1996年に「前立腺ガン」の手術を受けたこと、そして、すでに全身の骨に転移していて、ドクターストップがかっていることを明かされており、

それでも、

この闘いで一生を終えようとも一片の悔いもない

と、撮影に入る意欲を語っておられ、

その言葉通り、闘病生活を続けながらも、同年12月16日から、「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の撮影がスタート。

撮影の際は、イスから何度も立ち上がり、時にはハリセンを手に、

ヘタクソ!

と、出演者たちを怒鳴りつけるなど、闘志をみなぎらせていたのですが・・・

死去

ガンの骨転移の痛みに耐えきれず、当初12月23日だった放射線治療のための定期入院が、12月21日に早まると、29日には体力の低下により「風邪」「肺炎」を併発。

31日には自力で呼吸するのも難しくなって人工呼吸器を装着し、一時、危篤状態となってしまいます。

その後、2003年1月初旬には、小康状態と回復し、1月5日には、「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」のプロデューサーで息子の深作健太さんが監督を代行することになり、7日、東映の社長、岡田茂さんと健太さんが会見を開き、2月の初めには深作さんを復帰させたいとおっしゃっていたのですが、1月11日の昼過ぎ、またしても容態が悪化。

血圧が急激に低下し、主治医らが危険な状態と判断したため、妻で女優の中原早苗さんが、都内のスタジオで撮影を行っていた健太さんに連絡し、午後10時に健太さんが駆けつけると、

その後、健太さんから連絡を受けた、菅原文太さん、渡瀬恒彦さん、藤原竜也さんらも駆けつけ、10数人が見守る中、早苗さんが「欣二、欣二」と呼びかけるも、1月12日午前1時、深作さんは、72歳で、眠るように息を引き取られたのでした。

葬儀・告別式

その後、1月15日の通夜までは、取材が集まる自宅ではなく、都内の親族だけで静かに過ごせる場所に遺体が安置され、

1月16日の午後、築地本願寺で葬儀・告別式が執り行われると、弔問客には、ビートたけしさん、梅宮辰夫さん、緒形拳さん、津川雅彦さん、富司純子さん、三田佳子さん、いしだあゆみさん、藤真利子さん、渡哲也さん、小林稔侍さん、永島敏行さん、風間杜夫さん、平田満さん、藤原竜也さん、安藤政信さん、八名信夫さん、前田愛さん、前田亜季さん、竹内力さん、高岡早紀さん、薬師丸ひろ子さん、夏木マリさん、宮本真希さん、柴咲コウさん、加藤夏希さん、南果歩さん、渡辺えり子さん、松田美由紀さん、美輪明宏さん、山田洋次さん、崔洋一さん、降旗康男さん、沢井信一郎さん、奥山和由さん、などが列席。

ロサンゼルスから駆けつけた千葉真一さんと「仁義なき戦いシリーズ」で主演を務めた菅原文太さんがそれぞれ弔辞を述べられたほか、

いしだあゆみさんも、

本当に温かくて大好きだった

と、深作さんの死を悼まれたのでした。

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「THE BLUE HEARTS」の「1001のバイオリン」

ちなみに、深作さんは、生前、「THE BLUE HEARTS」「1001のバイオリン」「人生で最も好きな曲」と語っておられたそうで、

会場では、「仁義なき戦い」「蒲田行進曲」「バトル・ロワイアル」など自身が手掛けた映画のテーマ曲に加え、献花の時には、「1001のバイオリン(作詞・作曲 真島昌利)」が流されたのだそうです。

「深作欣二の嫁は中原早苗も松坂慶子と不倫関係だった!」に続く

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