早稲田大学在学中からつかこうへいさんの舞台に出演すると、1982年、映画「蒲田行進曲」でブレイクし、以来、哀愁漂うサラリーマンや冴えない中年男性を数多く演じている、平田満(ひらた みつる)さん。今回は、そんな平田さんの生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

平田さんは、1953年11月2日生まれ、
愛知県豊橋市のご出身、

身長169センチ、

靴のサイズは、25.5センチ

血液型はAB型、

学歴は、
豊橋市立牟呂小学校
⇒豊橋市立牟呂中学校
⇒愛知県立時習館高等学校
⇒早稲田大学第一文学部中退

趣味は茶道、

ちなみに、「平田満」は本名です。

中学・高校時代は文武両道

平田さんは、海で海苔の養殖をしたり、池で鰻(うなぎ)の養殖などを手掛けていた両親のもと、3人兄弟(姉と兄)の末っ子として誕生すると、

三河湾に近い田園地帯にある、隣の集落と1キロ以上も離れている実家で、飼っていたヤギの乳を毎日飲むなど、のびのびと健康的に育ち、

中学時代は、相撲部に在籍し、団体戦で県大会2位になるなど、スポーツ万能だったうえ成績優秀、そして、中学卒業後も、県内でも偏差値の高いトップクラスの進学校(時習館高等学校)に進学し、ラグビー部のキャプテンを務め、県大会では準優勝するなど、文武両道だったそうです。

ちなみに、平田さんは、ラグビー部だったことについて、

体育会系というよりは、クラブ活動。競技は知ってましたが、どんなふうにやるかは全然知らなかった。この体でポジションは、フォワード。リーチマイケルと同じです(笑)

と、語っています。

(※リーチマイケルさんは、ラグビーワールドカップ2019の日本代表キャプテンで、チームを史上初のベスト8に導いたラグビー選手)

早稲田大学の「劇団暫」の芝居に圧倒される

そんな平田さんは、1972年、早稲田大学文学部に進学したそうですが、新入生勧誘の看板が立ち並ぶ校内を歩いていたところ、「劇団暫」(げきだん しばらく)という立看板があったそうで、そこで、呼び込みの学生に誘われるがままに、「早大演劇研究会」のアトリエに入ると(狭くて汚い所だったそうです)、

そこでは、赤い襦袢(じゅばん)姿で踊っている女の子や、大声で絶叫している男がいたそうで、お芝居を見たことがない平田さんには、何が何だか訳が分からず、ただただ、そのエネルギーに圧倒されたそうです。

(後に、平田さんは、このお芝居のことを、「状況劇場」「黒テント」「天井桟敷」「早稲田小劇場」など、当時人気だったアングラ劇団の芝居をコラージュしたような舞台だったと語っています)

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何が起こるか分からない人生の方が面白いと「劇団暫」に入部

そして、その後、舞台が終わると、(この公演が千秋楽だったことから)劇団員が残って後片付けを始めたそうで、平田さんもタダで舞台を見せてもらったことから、後片付けを手伝うと、そのまま打ち上げにも参加することになったそうで、宴会で盛り上がるうちに、入部することに。

こうして、平田さんは、1971年、早稲田大学内の「劇団暫」に入団したそうですが、平田さんは常々、先の見える出来上がったような人生は歩みたくない、何が起こるか分からない方が面白いと、思っていたそうで、

(そのため、ネクタイを締めたサラリーマンの自分は全く想像がつかなかったそうです)

演劇は、戯曲も読んだことさえなかったそうですが、知らない世界に飛び込んでみたいとの思いで入団したのだそうです。

「平田満がつかこうへいに出会ったのは早稲田大学時代!」に続く

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