中学時代は相撲部、高校時代はラグビー部に在籍するも、早稲田大学に進学すると、新入生勧誘で誘われるがままに「劇団暫」のお芝居を見て、そのエネルギーに圧倒され、そのまま入部したという、平田満(ひらた みつる)さんですが、夏休みになる頃には、演劇への情熱がすっかり冷めてしまっていたといいます。

「平田満の生い立ちは?中学・高校時代は文武両道だった!」からの続き

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「劇団暫」の退団を申し出るも説得される

何が起こるか分からない人生の方が面白いと、何の経験もない中、誘われるがままに、早稲田大学の「劇団暫」に入部した平田さんですが、

夏休みに先輩が実験公演的なお芝居をやってくれるも、平田さんは、戯曲の読み方が分からず、また、演じることもすごく恥ずかしかったことから、自分には向いていないと思ったそうで、

(さらに、田舎に帰ったことで、すっかり演劇への情熱が冷めてしまったそうです)

辞めようと、劇団に退団届けを送ったそうです。

しかし、主宰の向島三四郎さんから、

今度、慶応で芝居やってるスゴイ人が早稲田に来るんだ。つかこうへいという人でね。その人と一緒にやってみないか

と、何度も手紙が来たそうで、

結局、根負けして、退団を撤回し、そのまま、騙されるように稽古に入ることになったそうです。

(当時、平田さんはつかこうへいさんを知らなかったそうですが、つかさんは、若い演劇人の間で人気急上昇しており、「劇団暫」も「つかこうへい事務所」と提携公演を行うことになったのだそうです)

オーディションに合格したという説も

ちなみに、もう一つの説として、平田さんが座長に辞めることを伝えに喫茶店に行くと、そこでは、つかさんが「劇団暫」の演出をすることになったことに座長と劇団員たちが大盛り上がりしており、

平田さんが切り出し辛くしているところ、

面白いから、騙されたと思って参加してみなよ

と、座長に言われ、

30人くらいの候補者の中から5~6人が選ばれるオーディションに参加すると、見事、平田さんが、その中の一人に選ばれた、という話もあるようです。

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つかこうへいの稽古はまるで運動部の延長だった

さておき、平田さんが大学に戻ると、すでに稽古は始まっていたそうですが、お芝居に関してはまったくの素人で、つかさんのことも知らなかった平田さんは、これ1回だけにしようと参加したそうです。

(初めて出会ったつかさんは、痩せていて、眼光が鋭く、平田さんよりも5歳年上だったこともあり、とても大人に見えたそうです)

すると、稽古では、大学の周りをマラソンさせられたり、へとへとになるまで踊らされたりしたそうで、

(その間、つかさんは威圧感がすごく、誰も軽口を叩く雰囲気ではなかったそうで、たばこを吸いながら、時々「バカヤロー」という声と共に灰皿が飛んでくることもあったそうです)

高校時代にラグビーをやっていた平田さんは、演劇の稽古と言うより、まるで運動部の延長のように感じたのだそうです。

「平田満は昔つかこうへいに魅了されて演劇を続けていた!」に続く

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