早稲田大学に進学後、「劇団暫」に入部するも、戯曲が読めないうえ、演じることも恥ずかしく、一旦は退部届を出した、平田満(ひらた みつる)さんですが、説得され、一度だけと、新進気鋭の劇作家・つかこうへいさんの稽古に参加すると、その独特の演劇方法にすっかり魅了されたといいます。

「平田満がつかこうへいに出会ったのは早稲田大学時代!」からの続き

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つかこうへいから独特の演劇方法で鍛えられる

これ1回だけと、つかこうへいさんの稽古に参加した平田さんですが、大学の周りをマラソンさせられたり、へとへとになるまで踊らされたりと、まるで、運動部の延長のような稽古をさせられたうえ、

肝心の演出の方も、

「こうすれば良くなる」という演出ではなく、口立ての時に「俺のニュアンスは分かるだろう」という感じでした。

僕自身は自分がどうやりたい、というのはありませんでしたね。つかさんの要求に応えるので精一杯でしたし、つかさんに与えられたものをやるのが表現だと思っていましたから。

と、台本に沿って演技指導していく従来のスタイルではなく、ほとんど台本がない中で、「口立て」と言われる、独特の方法でセリフを覚えていかなければならなかったそうです。

つかこうへの教え

また、つかさんからは、「うまくなれ」とは、一度も言われたことがなく、むしろ、「お前も上手くなったもんだな」と皮肉めいて言われたことがあったそうです。

というのも、つかさんは、その時のその人間が、面白かったり魅力的になるように演出していたことから、うまくなると、その分、人間として廃れてしまい、魅力的な演技ができなくなってしまうと考えていたからで、その演技ができないのは、お前が悪い(つまり、人間としての魅力がないという意味)と言われたほか、

役者が(役柄ではなく)個人的に目立とうとすることは、下品、下衆だと(つかさんは、この言葉をしょっちゅう使っていたそうです)考えていたことから、「下衆な芝居はするな」とも、よく言われたそうです。

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つかこうへいの芝居にハマっていた

そんなつかさんの指導に、当初は困惑していた平田さんですが、やがて、それまでになかった気持ちが芽生え始めたそうで、大学を中退し、「つかこうへい事務所」に入所。

ただ、稽古をして、芝居をして、公演が終わると、つかさんとは音信不通になり、次があるのかないのかも分からないまま、食べるためにアルバイトをして過ごし、そのうち、突然、つかさんから、「明日から稽古をするから来いよ」と連絡が入ると、決まっていたアルバイトも辞めるという生活だったそうです。

それでも、後に、平田さんは、

そのころはもう、僕自身が “お芝居しかない、あとはカス” みたいな生活でね。「芝居を除いたら、何もないな」って思っていたし、少なくとも稽古や芝居をしていれば、生きてるっていう感じがした。

つかさんが声をかけてくれるうちはやろう、「もういいから来るな」と言われたら、それから考えようと

最初から役者を志して東京に来たわけではないし、職業として選んだきっかけもありません。本当にいつの間にか──なんですよね。大学を辞める上でも別に覚悟もありませんでした。

ただ、覚悟という話でいうと、つかさんから「お前はもう来なくていいよ」と言われた時は芝居を辞めようと覚悟していました。つかさん以外の芝居をやろうとは思わなかったし、魅力も感じていませんでしたから。職業俳優になっていくとは、思ってもみませんでした

と、語っており、すっかりつかさんのお芝居にハマっていたようです。

「平田満は若い頃「蒲田行進曲」のヤス役でブレイクしていた!」に続く

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