任侠映画で鶴田浩二さんや高倉健さんの相手役などヒロインで人気を博すと、「緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)」シリーズ、「日本女侠伝シリーズ」シリーズでは、自ら任侠映画の主演を務め、大ブレイクした、富司純子(ふじ すみこ)さんですが、そんな人気絶頂期に結婚し、引退されていました。

「富司純子の若い頃は任侠映画のヒロインほか緋牡丹博徒でブレイク!」からの続き

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旦那は七代目尾上菊五郎

富司さんは、人気絶頂だった1972年3月30日、歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)さんと結婚されています。


婚約会見での四代目尾上菊之助さんと富司さん。

お二人は、1966年、NHK大河ドラマ「源義経」の共演がきっかけで知り合い、交際に発展したそうで、1971年11月9日、婚約会見を開かれると、その際、富司さんは、芸能界引退を発表。

その後、「東映」のオールスターが共演した、映画「純子引退記念映画・関東緋桜一家」(監督は恩師であるマキノ雅弘さん)で鉄火肌の柳橋芸者役を演じられると、これを最後に芸能界を引退されたのでした。

ちなみに、富司さんのお父さん(映画・テレビドラマのプロデューサーだった俊藤浩滋さん)からは、「せっかくのスターの座を」と結婚に猛反対されたほか、歌舞伎界からも「任侠女優」が梨園に嫁ぐなんてと猛反対されたそうですが、

富司さんは、任侠映画で見せたヒロインのごとく、凛として、周囲の猛反対を押し切り、結婚されたのでした。

寺島純子として「3時のあなた」の司会で芸能界復帰

そんな富司さんは、その後、1974年には、本名である「寺島純子(てらじま じゅんこ)」名義で芸能界に復帰されると、

復帰後初の仕事は、女優ではなく、ワイドショー「3時のあなた」の司会でした。


「3時のあなた」より。右が富司さん。

一時期、出産と育児で降板されたことがあったようですが、最終的には、10年11ヶ月在籍されており、歴代司会者の中では、森光子さんに次ぐ、2番目の長さだったそうです。

富司純子として映画にも復帰

そして、1989年には、

白紙の新人女優としてスタートしたい

寺島は夫の名字

と、芸名を現在の「富司純子(ふじ すみこ)」に改名し、映画「あ・うん」で本格的に映画に復帰されると、以降、数多くの映画やテレビドラマに出演されています。

娘は寺島しのぶ

ところで、富司さんは、尾上菊五郎さんとの間に、男の子と女の子を一人ずつ出産されているのですが、現在、お二人とも俳優として活動されています。


(左から)七代目尾上菊五郎さん、寺島しのぶさん、五代目尾上菊之助さん、富司さん。

まず、娘さんは、寺島しのぶ(てらじま しのぶ)さんで、学生時代はスポーツに熱中する女の子だったそうですが、お父さんの親友だった太地喜和子さんの勧めで女優を志し、1992年に「文学座」に入団。

その後、1996年に「文学座」を退団された後は、舞台、テレビドラマを中心に活躍し、2004年には、映画「赤目四十八瀧心中未遂」「ヴァイブレータ」で、「第27回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を受賞、2010年には、映画「キャタピラー」で、世界三大映画祭の一つである「ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)」を受賞するという快挙を成し遂げられるほか、日本国内外で、数多くの賞を受賞されるなど、演技派女優としての地位を確立されています。

寺島しのぶが美人女優だった自身と比べられ苦悩していた

ただ、寺島さんは、幼い頃から、歌舞伎役者になりたかったそうで、女性に生まれたがゆえにその願いが叶わず、弟の菊之助さんが6歳で歌舞伎デビューされると、より一層、孤独を感じられたそうで、

歌舞伎役者になれないのならと、目指した女優という仕事でも、美人女優だったお母さんと比べられ、辛い時期を過ごされていたそうで、

昔、太地喜和子さんに、

あなた、絶対にお母さんの映画は見ない方がいいわ。 女優を辞めたくなるから。

と、言われたこともあったそうです。

また、それだけではなく、女優業においても、お母さんの力はまだまだ強く、ぶつかり合うこともあったそうで、

特に、2003年公開の映画、「赤目四十八瀧心中未遂」「ヴァイブレータ」で、寺島さんが「入れ墨にヌード」という役をやることになると、富司さんは猛反対し、

あなたがこの映画に出るのなら私は自殺する

と言い、

寺島さんも負けじと、

私がこの映画に出られないのなら自殺する

と、激しい口論になったそうで、

最終的には、父・尾上菊五郎さんの、

女優なんだからしょうがないだろう

という一言で収まったとのこと。

ただ、寺島さんは、この映画に出演すると、見事、「アカデミー賞最優秀主演女優賞」に選ばれており、

富司さんは、娘の快挙を、

恐れ入りましたとしか言いようがない

と、認められています。


富司さんと寺島しのぶさん。

また、寺島さんが、2010年に、映画「キャタピラー」「ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)」を受賞された時には、富司さんも号泣されたのでした。

ちなみに、寺島さんは、演出家の蜷川幸雄さんに、

きれいな人はどんな役でもきれいなまま。お前は顔じゃない。技だ。

と、教えられ、美人女優だった富司さんとは違う道を見つけたそうですが、

それを聞いた富司さんは、苦笑いしておられたそうで、女優として、母親として、女として、さぞ、色んな感情が絡み合ったことでしょう。

孫は?

こうして、見事、逆境をバネに、演技派女優になられた寺島さんですが、やはり、歌舞伎役者には執着があるようで、2012年に出産された、一人息子の眞秀(まほろ)くんを歌舞伎役者にさせたいようです。

眞秀くんもまた、そんなお母さんの想いを引き継いでか、歌舞伎が大好きだそうで、歌舞伎役者への道を邁進しているとのことでした。


孫・眞秀くんにメロメロな様子の富司さん♪

息子は尾上菊之助

さて、富司さんのもう一人の子どもである息子さんは、五代目尾上菊之助(おのえ きくのすけ)さんで、6歳で六代目尾上丑之助を襲名し、東京・歌舞伎座「絵本牛若丸」で初舞台を踏まれると、18歳の時には、歌舞伎座「弁天娘女男白浪」の弁天小僧などで、五代目尾上菊之助を襲名。

以降、歌舞伎以外にも、蜷川幸雄さん演出の舞台にも出演されるほか、2005年には、シェイクスピアの戯曲「十二夜」を歌舞伎の演目として公演されるなど、歌舞伎の枠にとらわれずに活動されているようです。

また、菊之助さんは、2013年、中村吉右衛門さんの四女・瓔子さんと結婚されると、同年には男の子が、2015年と2017年には女の子が誕生しており、


五代目尾上菊之助さんと瓔子さん。

長男は、2019年5月3日、令和元年5月大歌舞伎「團菊祭」「絵本丑若丸」で初舞台を踏み、七代目尾上丑之助を襲名しています。

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家系図

こうして、家族全員が有名人の富司さんですが、そのほかにも、親族には有名人が多数いらっしゃいます。

最後に家系図を御覧ください。

「富司純子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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