日本におけるシンガーソングライターの第一人者として、「ヨイトマケの唄」など数多くの曲を作り、以降、半世紀にわたり、歌手・俳優として活動されている、美輪明宏(みわ あきひろ)さん。そんな美輪さんの、生い立ちからブレイクに至るまでの経緯について調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
美輪さんは、1935年5月15日生まれ、
長崎県長崎市のご出身、
身長161センチ、
学歴は、
佐古国民学校(現・長崎市立佐古小学校)
⇒海星中学校
⇒国立音楽大学附属高校中退
ちなみに、本名及び1971年までの芸名は、「丸山 明宏(まるやま あきひろ)」で、幼名は、「丸山 臣吾(まるやま しんご)」です。
裕福で恵まれた幼少期
美輪さんは、遊郭の近くで「世界」という名のカフェを営む、お父さん・丸山作一さんとお母さん・ヌメさんとの間に、5人兄弟の次男として誕生すると、
20人近く働いていた、カフェ(キャバレーとバーの中間くらいの店だったそうです)の女給さんやホステスさんたちに、かわいがられて育ったそうです。
また、お店の隣には「南座」という芝居小屋があり、小さい頃から出入りしていたため、ここでも役者衆に可愛がられ、演出の仕方から、大道具、小道具、衣裳、化粧の仕方などを間近に見ることができたほか、そこでは、映画も上映されていたことから、ありとあらゆる世界中の映画を観ることができたそうです。
さらには、家の向かいには楽器屋兼レコード屋さんがあったことから、そこから流れてくる、ありとあらゆる音楽が自然と耳に入っていたそうで、芸術的にもとても恵まれた環境で育たれたのでした。
子供の頃から批判的?
ところで、美輪さんの実家は、カフェのほか、料亭とお風呂屋さんも営んでいたのですが、
美輪さんは、お風呂の番台に座っているときには、上等なキャメルのコートを着た紳士淑女が、服を脱ぐと貧相な体をしているのを見ると、
着るものってなんなの? インチキじゃん!
と、思い、
街のお偉いさんがカフェで酔っ払って、女給さんのスカートの中に手を入れてひっぱたかれ、ヘラヘラしているのを見ると、
いつも偉そうにしているけど正体はこっちじゃん
と、思い、
この人間の正体は何なんだろう?
と、子供の頃から考えていたそうで、
後に、美輪さんは、東京で知り合われた三島由紀夫さんや川端康成さんに、
「九州の田舎者は普通おどおどしているのに、君はどんな偉い人が来ても平気な顔している」
と言われたことがあったことを引き合いに出し、一切、容姿容貌、年齢、性別、国籍、着ているもの、肩書で、人を見たことがないとおっしゃっていました。
ただ、”貧相な体”も”容姿”。男性のヘラヘラを汚らわしいと思われたのも、同性愛者だからという側面もあり、この頃から、美輪さんの物事に対する批判的な考え方はあったようです。
悲惨な光景を目の当たりにしさらに批判的に
こうして、裕福で、芸術的に恵まれた環境の中、大人たちにかわいがられ、すくすくと自由に育たれた美輪さんですが、1941年、太平洋戦争が始まると、幾度となく、今でも忘れられない光景に出くわしたそうで、
ある日のこと、実家のカフェで働いていたボーイの三ちゃんに召集令状が来たことから、美輪さんと女給さんたちは長崎駅へ見送りに行ったそうですが、
三ちゃんを乗せた汽車が動き始めたその時、三ちゃんのお母さんが、突然、飛び出してきて、
死ぬなよっ。どんげん(どんな)ことがあっても帰って来いよっ
と、三ちゃんにすがりついて叫ぶと、
軍服を着た男が近づいてきて、
馬鹿者。軍国の母は『死んでこい』と言うんだ
と、三ちゃんのお母さんの襟髪をつかんで引きずり、投げ飛ばしたそうで、三ちゃんのお母さんは、鉄柱にぶつかり、頭から流血。
美輪さんは、
三ちゃんは、血だらけになったお母さんを見ながら出征していったんですよ
と、涙ながらに語られています。
また、ある寒い朝のこと、美輪さんは、美輪さんの親類が経営する旅館の近くで、工場に向かう女子挺身隊員の点呼が始まったのを見ていると、もんぺ姿の女学生たちが並ぶ中、突然、監督官が、
おい、貴様
と、一人の女学生を指差し、
この戦時下において、軟弱な格好しとるとは何事か。脱げ!
と、服を脱ぐことを命じ、その女学生が服を脱ぐと、黄色、赤色、紫色などカラフルな毛糸の下着が現れたそうで、
それを見た監督官はその下着を切り刻み、さらには、胸を隠してしゃがみ込む女学生に殴る蹴るの暴行を加えたそうで、女学生の耳が切れ、口が切れ、鼻が切れ、血だらけになりながら、
許して下さい、許して下さい・・・
と、許しをこう声が次第に小さくなっていったそうです。
そして、その女学生は、その後、その怪我がもとで亡くなり、つけていたカラフルな毛糸の下着は、お母さんが、「寒い思いをしないように」と、いろいろな服をほどいて、編み直したものだったことを美輪さんは知ったそうで、
(その下着のカラフルな色が、襟から少しだけのぞいていたのを、監督官にみとがめられたのでした)
裕福な人や偉そうな人に対する批判的な考えはさらに強まっていったのでした。
(左から)お父さん、お母さん、美輪さん、お兄さん。