勉強もスポーツも苦手だったうえ、イジメにあっていたことから、学校へ行くのが嫌で嫌でたまらず、何とかして学校へ行かなくてもいい方法はないかと考えていたという、和泉雅子(いずみ まさこ)さんですが、新聞に掲載されていた「劇団若草」の募集広告を見つけ、子役になれば学校へ行かなくていいとひらめき、応募すると、トントン拍子で映画デビューまで果たします。

「和泉雅子は小学校が嫌でたまらず「劇団若草」に応募していた!」からの続き

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美少女という理由だけで「劇団若草」のオーディションに合格

新聞に掲載されていた「劇団若草」の募集広告を見つけ、さっそく応募書類を送付した和泉さんは、後日、オーディションを受けることになったのですが・・・

泣く演技の試験の際、審査員から、

それでは泣く演技をしてみてください

と、言われると、

べらんめぇ口調で、

悲しくもないのになけねえよ。

と、言い、

次の、笑う試験でも、

おもしろくないのにわらえねぇよ。

と、言ったほか、

好きな歌を歌う試験、先生と一緒に踊るダンスの試験も惨憺(さんたん)たるもので、もはや、オーディションは絶望的かと思われたのですが・・・なぜか合格。

こうして、和泉さんは、1958年、11歳の時、「劇団若草」に入団されたのでした。

(ちょうどその頃、「劇団若草」はモデル部を設立したばかりで、モデル要員を探しており、合格した理由が「顔がきれいだったから」と、後に知ったそうです。)

映画「荒城の月」で子役デビュー

さておき、晴れて「劇団若草」に入団した和泉さんは、「りぼん」「少女フレンド」「少女ブック」などの少女漫画雑誌の表紙のモデルを務めると、その美少女ぶりから、たちまち話題の存在に。

そして、入団から3ヶ月後には、作曲家・滝廉太郎の人間模様を描いた映画「荒城の月」(猪俣勝人監督)のオーディションを受けると、ヒロイン・山田百合子さんの子ども時代の役に起用され、同年、映画「荒城の月」で、早くも子役デビューを果たしたのでした。

美少女という理由だけでヒロインの子ども時代役に抜擢されていた

実は、和泉さんがオーディションに合格した時、劇団の先生は、

あの子は演技ができないから他の人に替えてください

と、猪俣勝人監督にお願いに行かれたそうですが、

猪俣監督は、

いやあ、セリフなんか一個もないから大丈夫

と、ここでもまた、「顔がきれいだったから」というのが合格の理由だったそうです♪

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ロケで学校を2週間休めることが嬉しくて仕方なかった

その後、和泉さんは、滝廉太郎役の石浜朗さんの子ども時代を演じる子役の子と共に、劇団の先生に連れられて、向かい合わせの汽車に乗り、延々と38時間かけて、ロケ地である大分県・竹田まで行ったそうですが、

ロケ地では、石浜朗さんが、撮影の合間に、持って来たウクレレを弾きながら、ハワイアンの歌を教えてくれたほか、

(そのため、和泉さんは、今でもハワイアンの曲を聴くと、この時の石浜さんを思い出すそうです)

心配した両親に頼まれ、ロケ地の近くに住んでいたお父さんの戦友だった人が、様子を見に来て写真を撮ってくれたそうで、楽しい時を過ごすことができたそうです。

また、和泉さんは、ロケ弁も嬉しくて嬉しくて仕方なく(アルマイトのお弁当箱にご飯がぎっしり詰まっていて、梅干しが1個のっているだけのものだったそうですが)、1回の食事で3つもお弁当を食べ、生まれて初めて太ったのだそうです。

そして、和泉さんにとって、何より嬉しかったことは、ロケで学校を2週間も休むことができたことだったそうです(笑)

「和泉雅子が中学の時は喜劇役者を目指し柳家金語楼に弟子入りしていた!」に続く

「荒城の月」のロケ地・大分県での和泉さん。

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