冒険家・植村直己さんの妻・公子さんに北極点行きについて相談すると、当初は反対されるも、やがて本気度が伝わって冒険家・多田雄幸さんを紹介してもらい、その後、次々と協力者に恵まれた、和泉雅子(いずみ まさこ)さんですが、一方、女優業のほうでも、演出家・石井ふく子さんには、帰国後の仕事まで約束してもらっていたといいます。
「和泉雅子は北極点挑戦を冒険家・植村直己の妻に相談していた!」からの続き
現地コーディネーター・ベーゼル・ジェスダーセンと打ち合わせ
冒険家・植村直己さんの妻・公子さんから紹介してもらった、北極の専門家・五月女次男さんの取り計らいで、カナダのレゾリュートに住む、現地コーディネーターのベーゼル・ジェスダーセンさんの協力を取り付けた和泉さんは、
1984年11月16日には、ベーゼルさんと奥さんのテリーさんに会うため、五月女さんと成田から1日半かけてようやくカナダのレゾリュートに到着。
(この時期、レゾリュートは、極夜といって、太陽が沈んだ状態だったそうで、翌年の2月初めまで太陽を見ることはできなかったそうです)
ベーゼルさん夫妻との挨拶を済ませると、すぐに話し合いが始まり、出発は遅くとも3月30日、出発地はカナダ最北端のワードハント島に決まったほか、補給フライトの回数、ナビゲーション、通信、スノーモービル、防寒設備、食料、病気とケガの対策、隊員の確保、それにかかる経費など、4日半かけて基本計画が完成したそうで、和泉さんは、もう引き返すことはできないと、改めて覚悟したそうです。
石井ふく子に北極挑戦後の仕事を約束してもらっていた
そんな和泉さんは、帰国してすぐ(12月)、東京・帝国劇場で上演予定の舞台「女たちの忠臣蔵」の稽古に参加しているのですが、
実は、和泉さんは、10月下旬の打ち合わせの席で、演出家の石井ふく子さんに、
突然ですが、北極点に立ってみたいと思っています。今、37歳。結婚して子どもがいてもおかしくない年齢ですから、半年間、産休をいただけませんか
と、お願いしており、
石井さんに、
あなたは、冒険家になりたいの、それとも女優でいたいの
と、尋ねられ、
役者として前進するためにやりたいんです。今のままではどこかに埋もれてしまうので、自分に試練を課してみたい
と、伝えたところ、
石井さんは、
分かったわ。やってごらんなさい
来年(1985年)11月に名古屋・名鉄ホールで舞台をやることになっているので、必ず出るって約束して。そのために、絶対に帰ってきなさい
と、復帰後の仕事の約束までしてくれたそうで、和泉さんは、この石井さんのはからいにとても感激されたそうです。
北極行きに備えて太り初日と楽日ではまるで別人だった
ちなみに、和泉さんは、「女たちの忠臣蔵」の時、すでに北極行きに備えて太らなければならない時期だったため、公演の途中から、衣装のお尻の部分が破れ、かつらも合わなくなり、初日と楽日(最後の日)ではまるで別人だったそうで、衣装部には怒られっぱなしだったそうですが、
(石井さんには許しをもらっていたそうですが)
和泉さんは、
お客さんには分からなかったと思いますが、共演の坂東八十助(現在の坂東三津五郎)さんは、たまらなかったでしょうね
と、語っておられます。
「和泉雅子は北極点挑戦のため1人でテントで寝起きする試験を受けていた!」に続く