1958年、11歳の時、「劇団若草」のオーディションを受けると、演技のテストはさんざんだったにも関わらず、その美少女ぶりから合格となり、その3ヶ月後には、早くも、映画「荒城の月」で子役デビューした、和泉雅子(いずみ まさこ)さんは、その後も、美少女ぶりで、順調に女優の道を進みます。

「和泉雅子は美少女ぶりで「劇団若草」も「荒城の月」も合格していた!」からの続き

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木下恵介監督作品「風花」に出演

1958年、「顔がきれいだから」という理由で、猪俣勝人監督に見初められ、映画「荒城の月」で子役デビューした和泉さんは、

その3ヶ月後には、岸恵子さんの主演映画「風花」(木下恵介監督)のオーディションを受けに、大船の松竹撮影所までお父さんと一緒に行くと、見事、メイン・キャストの久我久美子さんの子ども時代の役に合格するのですが、

この時も、劇団の先生は、「あの子は絶対(演技が)できませんから」と言ったそうですが、木下監督は、「大丈夫です。お遊戯をするぐらいだから」と、和泉さんの美少女ぶりを買っての起用だったそうです。


「風花」より。

小学6年生で「劇団若草」を退団

そんな和泉さんですが、「劇団若草」でも勉強は嫌いで、そのうち、授業を抜け出しては、ラーメンやあんみつを食べに行くようになったそうで、結局、小学6年生で退団。

ただ、仕事の方は相変わらず順調で、中学に入ると、とにかく撮影の仕事が忙しかったそうです。

(芸能人が多く通っていた学校だっため、学校を休んでも、出席日数をとやかく言われることはなかったそうです)

喜劇役者を目指し落語家の柳家金語楼に弟子入りするも・・・

そんな中、和泉さんは、自分には喜劇が向いているのではと思い、コメディドラマ「おトラさん」に出演されていた、落語家の柳家金語楼(やなぎや きんごろう)さんの弟子になりたいと、お父さんの友人で元プロレスラーの阿部修さんが柳家さんの関係者を知っていたことから、紹介してもらうことに。

そして、柳家さんの「金星プロ」に入れてもらうと、毎年4月に、新宿のコマ劇場で開催されている「喜劇人祭り」に柳屋さんと榎本健一さんが一緒に出演されていたことから、和泉さんも出演させてもらうことになったのですが・・・

君の顔は喜劇じゃない

と、柳家さんから言われ、

村長の娘や、お嬢様の役ばかりで、肝心の喜劇はやらせてもらえなかったそうです。

(和泉さんは、「おトラさん」の最後のシリーズでも、毎週、飲食店のお嬢さん役で出演し、歌ったり踊ったりされています)


和泉さんと落語家の柳家金語楼さん。

ちなみに、和泉さんは、毎週、柳屋さんの東京・若林の自宅を訪ねて行っては、柳屋さんにいろいろな芸を仕込んでもらったそうですが、柳屋さんは、台本を書くことに忙しく、一回しか教えてもらえず、あまり相手にされなかったそうです。

水の江瀧子にスカウトされて「日活」に入社

その後、和泉さんは、柳屋さんが男性陣のキャプテンを務める「ジェスチャー」というNHKのゲーム番組の楽屋に、柳屋さんのカバン持ちとして随伴した際、女性陣のキャプテンを務める、女優で「日活」のプロデューサーだった、水の江瀧子さんと知り合うと、

ある日のこと、水の江さんから、

この子、ちょっと日活に出してみない。私に預けてよ

と、スカウトされ、映画「7人の挑戦者」(1961年・松尾昭典監督)に沢本忠雄さんの恋人役で出演。


「7人の挑戦者」より。右から2人目が和泉さん。

(和泉さんはまだ14歳だったそうですが、18歳に見えるように、メイクさんと衣裳さんが工夫してくれたそうです)

すると、試写で、和泉さんに目を留めた「日活」の常務の江守清樹郎さんが、

あいつは誰だ、すぐに契約しろ

と、言ったことから、和泉さんは、1961年、中学2年生の夏、「日活」と専属契約を結んだのでした。

(実は、当初、水の江さんが「日活」の上層部に和泉さんの話をした時は、「うちは13歳の子はいらない」と断られていたそうですが、水の江さんが「日活」に内緒で、和泉さんを映画「7人の挑戦者」に出演させていたのだそうです。)

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清純派女優として人気を博す

こうして、和泉さんは、1961年、「暗黒街の静かな男」で、日活映画に初出演すると、その後も、

「母あちゃん海が知ってるよ」(1961年11月19日)
「ずらり俺たちゃ用心棒」(1961年12月24日)
「ひとつのいのち」(1962年1月27日)
「銀座の恋の物語」(1962年3月4日)


「銀座の恋の物語」より。(左から)和泉さん、浅丘ルリ子さん、石原裕次郎さん。

「大氷原」(1962年4月22日)
「若い爪あと」(1962年5月9日)
「若者に夢あり」(1962年05月27日)
「太陽と星」(1962年7月1日)
「若くて、悪くて、凄いこいつら」(1962年9月9日)


「若くて、悪くて、凄いこいつら」より。和泉さんと高橋英樹さん。

「激しい河」(1962年10月6日)
「海の鷹」(1963年1月11日)
「泥だらけの純情」(1963年2月10日)
「空の下遠い夢」(1963年2月24日)


「泥だらけの純情」より。(左から)小池朝雄さん、和泉さん、浜田光夫さん。

と、数多くの青春映画に出演し、「清純派女優」として人気を博したのでした。

「和泉雅子の若い頃は「日活3人娘」で絶大な人気を博していた!」に続く

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