2019年には、87歳にして、「マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜」に主演されるなど、なんと、70年近くも女優として活躍されている、岸惠子(きし けいこ)さん。今回は、そんな岸さんのデビューからの足跡をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

岸さんは、1932年8月11日生まれ、
神奈川県横浜市神奈川区のご出身、

身長161センチ、
体重47キロ、

学歴は、
神奈川県立横浜平沼高等学校卒業、

ちなみに、「岸惠子」は本名です。

高校生の時スカウトされ映画界へ

岸さんは、高校生の時、ジャン・コクトーの映画、「美女と野獣」を観て、映画に興味を持ったそうですが、1949年、高校2年生の時、同級生の田中敦子さん(後の小園蓉子さん)のおじさんが、「松竹」大船撮影所長・高村潔さんの友人だったことから、「松竹」大船撮影所を見学に行くと、

(岸さんは、それほど強く「女優になりたい」と思っていた訳ではなく、女優に憧れていた田中さんの付き添い感覚だったのですが・・・)

いきなり、吉村公三郎監督から、「映画に出てみないか」と声をかけられたそうで、その後、プロデューサーが岸さんの自宅までスカウトに来て、岸さんは研究生となります。

(岸さんのお父さんが難色を示したことで、映画出演は高校卒業後ということになり、研究生として契約されたそうです。)

「我が家は楽し」で映画デビュー

そして、1949年10月、吉村公三郎監督の映画「真昼の円舞曲」のワンカットに出演されると、翌年の1950年には、教育映画だからということで、お父さんに許しを得て、「アメリカ博覧会の一日」で役柄のある作品にも出演されたそうで、

高校卒業後の1951年、晴れて、映画「我が家は楽し」で正式に女優デビューされると、


「我が家は楽し」より。(左から)笠智衆さん、山田五十鈴さん、高峰秀子さん。右から2人目が岸さん。

実質、まだ1作品にしか出演していないにもかかわわらず、同年、映画「獣の宿」で、松竹のホープとして売り出し中だった、鶴田浩二さんの相手役に抜擢。

岸さんは、殺人を犯し逃亡中の健(鶴田さん)と恋に落ちる娘・由紀役を見事熱演し、注目を集めたのでした。


「獣の宿」より。岸さんと鶴田浩二さん。

鶴田浩二と

その後も、岸さんは、

1951年「母恋草」
     「母待草」
     「鞍馬の火祭」
     「吃七一番手柄」

1952年「江戸城罷り通る」
     「冶郎吉格子」


「江戸城罷り通る」

と、次々と映画に出演され、期待の新人女優として高い評価を受けると、

1952年5月には、「松竹」の看板スターだった鶴田さんが、「松竹」から独立して「新生プロ」を創立され、第一作目の映画「弥太郎笠」(マキノ正博監督)の制作発表の際、相手役に岸さんを指名。

「松竹」はこれを拒否するのですが、岸さん自身が、かねてから「松竹」に不満があり辞表を提出したため、これに慌てた「松竹」が最終的には折れ、岸さんは同作品に出演。


「弥太郎笠」より。鶴田浩二さんと岸さん。

そして、翌年の1953年、「新生プロ」の第2作目である「ハワイの夜」でも鶴田さんと共演されると、映画は大ヒットを記録したのでした。

(鶴田さんとのロマンスも騒がれましたが、松竹に別れさせられたと言われています。)


「ハワイの夜」より。鶴田浩二さんと岸さん。

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「君の名は」で大ブレイク

そんな岸さんの勢いは止まらず、1953年から1954年にかけて公開された、映画「君の名は」の3部作でヒロイン・氏家真知子役を演じられると、映画は記録的な大ヒットを記録。

劇中の岸さんのストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ、多くの女性たちの間で大流行する社会現象まで巻き起こるほか、ブロマイドは売上1位を記録し、岸さんはスター女優としての地位を不動のものとされたのでした。

(ちなみに、この「真知子巻き」は、ロケ地だった北海道があまりにも寒く、私物として持ってきたストールで耳や頭をくるんだ岸さんのアドリブだったそうです。)

「岸惠子は市川崑監督作品の常連で40~60代でも数多く主演していた!」に続く

「真知子巻き」されている岸さん。

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