下宿先の伯母さんの家の末娘で3歳年上の従姉妹・末子さんと、密かに愛を育んでいたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんは、その後、末子さんの家族の大反対を押し切り、末子さんと結婚したそうです。

「田原総一朗の最初の妻は3歳年上の従姉妹!馴れ初めは?」からの続き

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3歳年上の従姉妹・末子との交際は末子の家族全員から反対されていた

作家を志して、早稲田大学の第2文学部に入学すると、やがて、下宿先の伯母さんの家の末娘で、3歳年上の従姉妹・末子さんと交際するようになった田原さんですが、

伯母さん(末子さんの母親)や末子さんの家族からは大反対され、ましてや、結婚など「絶対に反対」と言われたそうで、反対されればされるほど、余計に二人の気持ちは熱く盛り上がっていったそうです。

3歳年上の従姉妹・末子と結婚

そんな中、田原さんは、早稲田大学第1文学部を受験し直し、卒業後、「岩波映画製作所」に入社して、大阪府堺市の建設現場で、工場建設の過程を記録するPR映画の撮影(カメラ)助手として働き始めるも、失敗の連続で、入社1ヶ月も経たないうちに仕事を干されてしまい、さすがに、結婚するわけにはいかなかったそうですが、

1960年、26歳の時、藤瀬カメラマンから救いの手を差し伸べられ、「たのしい科学」のアシスタントをやることが決まると、思い切って、末子さんと結婚することを決意したそうで、同年、滋賀県彦根の田原さんの実家に近いお宮で結婚式を挙げたそうです。

(ちなみに、新婚旅行は一泊二日で奈良県の吉野に行き、そこでは、陶芸に挑戦したそうですが、その際、末子さんが、面白がって、田原さんがかつて入社試験を受けて落ちた会社の名前をすべて刻んだ湯呑を作ったそうで、二人は、結婚後、ずっとこの湯呑を使っていたそうです(笑))

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新婚生活は四畳半一間の部屋もそこそこ裕福な暮らしだった

さておき、田原さんは、「岩波映画製作所」に入社した頃辺りから、東京都北区十条の三畳一間のアパートで一人暮らしをしていたそうですが、全く陽が射さなかったことから、結婚後は、同じアパートの2階の四畳半一間に移り、末子さんと二人で暮らし始めたそうですが、家賃は3000円で、トイレと台所はアパートのほかの住人と共同、風呂は相変わらず銭湯に行っていたそうです。

そのうえ、1年半ほど経った頃、田原さんの弟が転がり込んで来て、三人での生活となったそうで、田原さんは、末子さんがよく我慢してくれたと感謝しているそうです。

ただ、田原さんのお給料は12000円くらいで、末子さんも、引き続き呉服問屋で働いていたうえ、呉服を小売するアルバイトもしていたことから、そこそこ裕福な暮らしができたのだそうです。

「田原総一朗は結婚後に村上節子アナと意気投合していた!」に続く

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