1960年、26歳の時、周囲の大反対の中、3歳年上の従姉妹・末子さんと結婚したという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、その後、日本テレビのアナウンサー・村上節子さんと知り合い、意気投合したといいます。

「田原総一朗は最初の妻とは家族の猛反対のなか結婚していた!」からの続き

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結婚後、日本テレビのアナウンサー・村上節子と知り合う

1960年、26歳の時、「岩波映画製作所」で「たのしい科学」のアシスタントに決まったことがきっかけで、交際中だった、3歳年上の従姉妹・末子さんと結婚した田原さんですが、

その後、日本テレビの「奥さま こんにちは」という15分番組の構成のアルバイトをするようになると、そこで、日本テレビのアナウンサー・村上節子さんと知り合ったそうです。

村上節子は女王様のようにズバズバと発言する女性だった

ちなみに、「奥さま こんにちは」は、毎週土曜日に、田原さんを含めた構成作家4人と、ディレクター、アシスタント・ディレクターで、日本テレビの社屋の向かいにあったビルの一室を借りて定例会議をやっていたそうですが、

(スタッフはみな若く、話好きだったため、話がどんどん脱線し、会議は延びに延びて、3~4時間になることがほとんどだったそうです)

その中に、節子さんもいたそうで、通常、このような会議の時、アナウンサーはどちらかというと、隅の方にいることが多いところ、節子さんは、女王様のように一番真ん中に陣取り、何でもズバズバと発言していたそうで、

(まるで、女王様の節子さんを田原さん達お付きの者が取り囲んでいる感じだったそうです)

田原さんの、節子さんに対する第一印象は、

ずいぶん、しっかりした女性だな

だったそうです。

村上節子と話が合い相性が良いと感じていた

そんな中、田原さんは、「人間とは何か」「人が生きるとはどういうことか」「何のために生きるのか」などといった哲学的なことを話すのが好きだったそうですが、節子さんもそのような話に興味を持ったほか、

ある時、電車の痴漢をテーマに番組をやろうということになった際には、ディレクターや構成者たちはみな、「痴漢は良くない。とんでもない」という正論を述べたそうですが、

田原さんが、

男にはみな、痴漢の素質がある。問題は、それを自制できるかどうかだ。だって、みんなストリップを見に行くじゃないか

などと、持論を展開すると、

節子さんは、田原さんのように本音を言う男が少なかったからか、この主張をとても気に入ったそうで、田原さんは、節子さんと相性が良いと感じたそうです。

(節子さんから直接聞いた訳ではないそうですが、構成者の一人だった菅沼定憲さんから、節子さんがそのように言っていたと聞いたそうです)

村上節子には恋人役も担ってもらっていた

また、田原さんは、ドキュメンタリーの仕事で取材を進める際、取材相手に信頼されるよう努めていたそうですが、その結果、取材対象が女性の時には、時々、恋愛感情を持たれることがあったそうですが、

そんな相手に対し、取材が終わり、「はい、サヨナラ」とする訳にも行かず、その度に、「ぼくには恋人がいる」と言って、節子さんに恋人役になってもらい、会ってもらっていたのだそうです。

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村上節子との間にはしこりとなる出来事もあった

ただ、日本テレビのドキュメンタリー番組「こんにちは 二十世紀」で、「雪と岩」の構成を担当した時のこと、男性と女性のアナウンサーが交互にナレーションを読むことにしていたところ、

田原さんがよく考えずもせずに、

男性だけでいきたい。女性アナウンサーは要らないよ

と、主張して、男性アナウンサーだけになり、女性アナウンサーの節子さんはナレーション役を降ろされてしまったそうで、

以降、ずっと、二人の間にしこりが出来てしまったのだそうです。

「田原総一朗は婚姻中も村上節子が最大の理解者だった!」に続く

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