1973年には、女優の大原麗子さんと、格差婚などもろともせずラブラブで結婚されるも、1978年には早くも離婚された、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さん。今回は、そんなお二人の本当の離婚理由と、離婚後も深い絆で結ばれていたエピソードをご紹介します。

「渡瀬恒彦の元妻は大原麗子!ラブラブ格差婚だった!」からの続き

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離婚理由は?

1978年2月14日、大原麗子さんは、マスコミ各社に、渡瀬さんと前日の2月13日に正式に離婚した旨の声明文を発表されています。

ただ、そこには、

恒彦さんと私はけっして憎み合って別れたのではない。夫婦という絆は切れても私は恒彦さんを男性として人間として心から尊敬しています…

とも、綴られており、

翌日の2月15日、ドラマのロケ先である、北海道旭川市郊外の湧駒別温泉の旅館のロビーでの取材に対しても、

離婚を考えだしたのは去年夏頃から。今年1月になって、彼から子どもを産むか仕事をとるかと迫られた。私はどうしても子どもをつくる方をとることができなかった。

と、明かされたのでした。

また、渡瀬さんも、同日、都内にあるテレビ局近くの喫茶店で取材陣に囲まれた際、

彼女は僕が女優として認めている数少ない一人。だから、仕事をやめろとは言えなかった。彼女をちゃんと包んでやれなかったのが原因です。

と、明かされたのでした。

嫁姑関係がより悪化していた

ただ、実際のところ、離婚理由はそれだけではなかったといいます。

実は、大原さんは、1975年8月、「ギラン・バレー症候群」という、手足の筋肉に力が入らなくなる病気を発症し、東大病院に入院されているのですが、

当時、関西で仕事をし、京都に住んでいた渡瀬さんは、忙しい撮影の合間をぬって、しばしば東京に戻り、大原さんを甲斐甲斐しく看病されていたそうで、その甲斐あってか、大原さんは半年後には退院し、すぐに仕事に復帰。

翌年の1976年、テレビドラマの製作発表会見の際には、

今回、主人がしょっちゅう見舞いに来てくれて。お互い忙しくて、なかなか話す暇がなかったんですけど、不幸中の幸いというか、十分に話しあえました。

と、すれ違いが多かった二人の関係が、病気をきっかけに修復されたと思われたのですが・・・

病気が癒えたことで以前のように仕事に邁進する大原さんを、渡瀬さんのお母さんはよく思わず、

仕事を休んで京都で一緒に暮らすべき

と、ますます大原さんに不満を募らせていったというのです。

というのも、渡瀬さんの兄・渡哲也さんの奥さんが、子育てをしながら、病気がちの夫を懸命にサポートしていたため、渡瀬さんのお母さんは、そんな仲睦まじい渡さん夫婦の姿を見て、大原さんと比較していたのです。

そのため、以前にも増して、嫁姑の関係が悪化しており、このことも、離婚の大きな原因の一つとなったのでした。

一方、渡瀬さんも、東京の自宅で一緒に暮らしていたお母さんと大原さんを見かね、

冷却期間をおけば、修復できるかもしれない

と、京都に一軒家を借りてお母さんを呼び寄せられたそうですが、効果はなかったのでした。

渡瀬恒彦は離婚後も大原麗子を気にかけていた

ちなみに、渡瀬さんの親友で、40年来の付き合いがあった俳優の江藤潤さんによると、

(離婚)直後はショックが手に取るように分かった。当時、一緒に飲みに行くと、いつもどっぷりと落ち込みながら痛飲していた。

泥酔した揚げ句に(江藤さんの家に渡瀬さんが)泊まっていったこともあったんですが、涙ながらに飲んで、めったに歌わないのにカラオケで歌ってましたね。

と、離婚後、渡瀬さんは大変な落ち込みようだったそうです。

そして、渡瀬さんは、大原さんと離婚の翌年、一般女性と再婚されているのですが、

それでも、大原さんのデビュー当時からのマネージャーである、佐藤嘉余子さんによると、

渡瀬さんの家に電話すると再婚した奥さんが出て、私が「大原です」と名乗ると、「ギャッ」と驚かれちゃうのよ、なんて笑って話すんです。

と、二人は離婚後も連絡を取り、大原さんが病気で苦しんでいた時にも、渡瀬さん夫婦が大原さんをサポートしていたほか、

大原さんが、晩年、精神状態を悪化させ、昼夜問わず、誰彼なしに電話をかけては、相手をうんざりさせ、親しい人たちがみんな去って行った時も、渡瀬さんは、拒絶せず、大原さんの話を聞いてあげたといいます。

また、渡瀬さんは、2004年には、自身が主演を務めるドラマ「十津川警部シリーズ」に大原さんをキャスティングするなど、最後まで大原さんのことを気にかけ、手を差し伸べられたのでした。

(このドラマが大原さんの遺作となりました)

7回忌の法要にはじめて参列

そして、2009年に大原さんは他界されるのですが、渡瀬さんは、2015年、大原さんの7回忌で、はじめて法要に参列されると、大原さんの墓前に線香を供えて、静かに合掌。

(これまで、お墓参りは何度かされていたそうですが、大原さんの弟・政光さんから電話連絡を受け、7回忌の法要となる今回、初めて参列を決められたそうです)

その後、スポーツ新聞の取材に対し、

(大原さんとの思い出について)いろいろありすぎて簡単には言えないです…

妻としての自分と女優としての自分の間で葛藤していたのでは

と、絞り出されたのでした。

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大原麗子も渡瀬恒彦に対して変わらぬ想い

一方、大原さんも、ずっと渡瀬さんに対する想いを持ち続けていたようで、

大原さんのデビュー当時からのマネージャーだった佐藤嘉余子さんが、

麗子さんは渡瀬さんのことが本当に大好きでした。5年で離婚したけど嫌いで別れたのではなく、『兄妹みたいな関係』と言って、離婚してからも連絡を取り合っていました。

家でテレビを見ている時、画面に渡瀬さんが映ると、麗子さんは『カヨさん、渡瀬さんが出ているわよ、ウフフ』と言って、あのかわいらしい顔でうれしそうに微笑んでいました。

と、明かされていたほか、

大原さんの実弟・政光さんによると、大原さんは、結婚前に渡瀬さんの子を身籠るも、子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術したそうで、その際、渡瀬さんから輸血を受けたそうですが、

離婚後も、

渡瀬さんの血が今でも体に流れているから嬉しいの

と、言っていたことや、

晩年、車で外出する時、

渡瀬さんの家の前を通ってね

と、頼まれたことを明かされており、

大原さんが、離婚後も変わらず渡瀬さんを想い続けるも、仕事が捨てきれなかったことが分かります。

「渡瀬恒彦は警視庁捜査一課9係に文字通り命を燃やしていた!」に続く

大原さんの遺作となった「十津川警部シリーズ」での大原さんと渡瀬さん。

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