映画やテレビドラマだけでなく、プライベートでも、「ケンカ最強伝説」など、数々の伝説を残してこられた、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さんですが、女性関係はどうだったのでしょう。

「渡瀬恒彦のケンカ最強伝説とは?安岡力也や岩城滉一をボコボコに!」からの続き

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大原麗子と格差結婚

渡瀬さんは、1973年、同じ「東映」に所属していた女優の大原麗子さんと結婚されています。

お二人は、1970年、映画「三匹の牝蜂」の共演で知り合った際、お互い一目惚れし、後に交際に発展したそうですが、

(大原さんの実弟・政光さんによると、特に大原さんが渡瀬さんを好きになったようです)

当時、大原さんはすでにスター女優として活躍されていた一方で、渡瀬さんはまだ駆け出しの俳優。

そんな中、中島貞夫監督や俳優仲間たちが、

大原麗子クラスのスター女優に言うことを聞かせるぐらいじゃないとダメだ

と、渡瀬さんをそそのかしたそうですが、

中島監督によると、渡瀬さんは、後日、本当に中島監督の京都の自宅に大原さんを連れてきて、

結婚するので嵯峨野に家を探している

と、相談してきたそうで、仰天されたとか。


役所で婚姻届に印鑑を押す渡瀬さんと大原さん。

大原麗子とラブラブだった

ちなみに、大原さんの付き人をしていた、大原さんの実弟・大原政光さんによると、

結婚した当時、僕は姉の運転手をやっていました。僕がいるのにまるでいないかのように、“だっこ”とか言って、姉が渡瀬さんの膝の上に乗ったりして完全に2人の世界。

と、二人は人目も気にせず、ラブラブだったそうです♪


「格差婚」もどこ吹く風とラブラブだったお二人。

嫁姑問題と別居生活

そんなお二人は、さぞ、甘い新婚生活を送られたのかと思いきや、結婚して間もなく、渡瀬さんのお父さんが他界し、独り身となったお母さんを引き取ったことで暗転します。

というのも、渡瀬さんのお母さんは、

恒彦と私の2人で食事を摂るので、あなたは独りで食べてください

と、言うほか、家事が一切できない大原さんに厳しく家事を教え込むなど、昔ながらの姑だったそうで、大原さんもそんな姑に歩み寄ろうとするも、うまくいかず、

そのうえ、やがて、渡瀬さんが売れっ子になったことで、京都での仕事が増えて、自宅に帰れない日が続き、実質、大原さんは、姑と二人暮らしと、気詰まりな生活を送るはめになり、甘い新婚生活どころではなくなってしまったのでした。

また、そんな暮らしの中、弟の政光さんによると、ある夜、11時頃、

これからすぐ京都に行くからクルマを出して

と、大原さんから電話がかかってきて、京都の渡瀬さんのもとへ走ると、

到着するなり、大原さんは、泣きながら、

許して

と、詫びていたこともあったそうで、それほど大原さんは精神的に追い詰められていったのでした。

(大原さんは、渡瀬さんと電話で口喧嘩をしてしまい、それを詫びるために京都の渡瀬さんのもとに行ったのでした)

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すれ違いの日々が続き離婚

ただ、渡瀬さんが、そんな大原さんを気遣い、京都に生活の場を移して夫婦一緒に暮らそうと提案されるも、すでに売れっ子女優だった大原さんの仕事場はほとんどが東京。

そのため、大原さんは、女優を辞めてまで京都に移り住むことができず、このことが原因で、お二人の間にすれ違いが生じてしまったそうで、大原さんは、そのことにかなり落ち込まれたようです。

そして、1977年頃になると、大原さんは、渡瀬さんが浮気しているのでは、と疑い始めたそうで(実際は、そのような事実はなかったのですが)、渡瀬さんが求めてきてもセックスを拒否。

(そんな状態が長く続き、欲求不満になった渡瀬さんは、ついに、家政婦さんにまで言い寄ることがあったとか)

さらに、追い打ちをかけるように、女性週刊誌などで、渡瀬さんの女性問題、格差婚、嫁姑関係のことなどを書き立てられ、離婚説がささやかれるようになると、1978年2月、ついにお二人は離婚してしまったのでした。

「渡瀬恒彦と大原麗子の離婚後も深い絆が泣ける!」に続く

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