「東映」にアクション俳優として大々的に売り出されると、そのやんちゃで熱い性格から、やがて、中島貞夫さん、工藤栄一さん、深作欣二さん、山下耕作一さんといった監督たちからも、一目置かれる存在となっていった、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さん。今回は、そんな名だたる監督たちをもうならせた渡瀬さんの、体を張ったアクションのエピソードについてご紹介します。

「渡瀬恒彦は新人時代からやんちゃで別格扱いだった!」からの続き

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「狂った野獣」では自らバスを横転

渡瀬さんは、1976年、バスジャック犯を描いた、映画「狂った野獣」に出演されているのですが、渡瀬さんは、どんな危険なシーンの撮影でも自ら演じ切ることを信条としていたことから、

監督の中島貞夫さんからバスの運転免許を取るよう言われると、教習所の人も驚くほどの早さで免許を取り、ほとんどのシーンでバスを運転したそうですが、

クライマックスのバスが横転するシーンでは、さすがに、中島監督も、

曲がりなりにもスターなんだから、顔にケガでもしたらどうするんだ

と、そのシーンだけはスタントマンを使うよう諌(いさ)めたそうです。

すると、渡瀬さんは、スタントマンに、

バスでやったことがあるの?

と、聞いたそうで、スタントマンが「ない」と返事すると、

だったら条件は同じと、

じゃあ、俺がやる

そのために免許を取ったんだ

と、譲らなかったそうで、結局、渡瀬さんが運転してバスを横転させることに。

すると、川谷拓三さん、野口貴さん、片桐竜次さんたち、「ピラニア軍団」もバスに一緒に乗ると言い出したそうで、

それでは、カメラも入れようということになり、バスの中にロープを使ってカメラを固定すると、「用意スタート!」で走り出し、同乗している役者の誰かがカメラのスイッチを入れて撮影を開始。

そして、渡瀬さんは、すべり台のような坂道を使ってバスの片輪を上げ、傾斜したまま走ってから、見事、横転させることに成功したそうで、

後に、渡瀬さんは、

出演者が全てやっているので、リアルないい画が撮れましたよ。

と、満足そうに語っておられました。


「狂った野獣」より。

ただ、後に、「ピラニア軍団」のメンバー達は、

横転するバスになんか乗りたくなかった。でも、世話になっている渡瀬さんの手前、断れなかった。

と、本音を明かされていたそうですが(笑)

(渡瀬さんは、当時、「ピラニア軍団」の親分的立場でした)

「暴走パニック大激突」では自ら対向車に激突

そんな渡瀬さんは、同年、深作欣二監督の映画「暴走パニック大激突」でも、200台もの車やバイクが衝突するクライマックスシーンの撮影で、出演者の中でたった一人だけ、スタントなしで自ら演じることを志願。

渡瀬さん自らハンドルを握り、対向車に飛び込んだそうで、渡瀬さんのアクションはどんどん過激になっていったのでした。


「暴走パニック大激突」より。

「北陸代理戦争」ではジープの下敷きになり大ケガ

そして、翌年の1977年、映画「北陸代理戦争」でも、海岸に敵の組員を並べてジープではねていくシーンで、渡瀬さんは、志願して自らジープを運転することになったのですが、

その日は雪が降ったため、雪に轍(わだち)がつくのを避けるべく、リハーサルをせずにぶっつけ本番で撮影がスタート。

しかし、地面の形状が雪で分からない状態の中、渡瀬さんがハンドルを切ったところに段差があり、ジープは横転。次の瞬間、渡瀬さんはジープから投げ出されると、その渡瀬さんの上に、バウンドしてひっくり返ったジープが落ちてきたのです。

そして、幸いというべきか、渡瀬さんはジープの少し浮いたところに体が入り、命は助かったものの、生死をさまよう大怪我(右足を複雑骨折)を負ってしまったのでした。

ちなみに、渡瀬さんは、この事故で降板を余儀なくされてしまうのですが(代役は伊吹吾郎さん)、責任を感じた深作欣二監督と脚本家の高田宏治さんが、渡瀬さんの病室に見舞いに訪れると、

麻酔から眠りが覚めた、渡瀬さんは、

こうなっちゃ仕方ないよ

と、逆に、お二人を慰められたといいます。

アクションに活路を見出していた

そんな渡瀬さんは、デビュー当時、

僕は脱サラ俳優だから

スターに学問はいらない。映画は肉体労働だ

と、言うのが口癖で、

競争するところがそこ(アクション)しかなかったですからね。錚々(そうそう)たる俳優さん達の中に入って生きていくためには、何かやらなくてはならない。

と、後年、唯一、競争できる要素がアクションだったことを明かされているのですが、

渡瀬さんと共演されたことのある荒木一郎さんは、そんな渡瀬さんについて、

渡瀬は本気でやるだけだからね。芝居っていうことより。土の中に埋まるなら、ほんとに土の中に埋まるし、酒飲んで吐くシーンなら自分でほんとに一所懸命飲んでゲーゲー吐く。

芝居っていうことよりもそれをいかにほんとにやるか、みたいな奴。

と、もはや演技ではない、渡瀬さんの役者魂を絶賛されていました。

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狂暴性とイノセンスで高い評価

こうして、渡瀬さんは、危険なアクションシーンでもスタントマンに任せず、自ら演じることでその地位を築いていったのですが、

それだけでなく、1973年、深作欣二監督作品「仁義なき戦い 代理戦争」では、映画の終盤で無残な死を遂げる元工員の下っ端やくざ役ながら、

親分(菅原文太さん)を待つ間、アドリブで、観葉植物にライターの火を当て、組織に恵まれずに滅んでしまう集団就職世代の痛ましさを表現し、観客の共感を得たほか、

同年、「実録・私設銀座警察」では、ヒロポン中毒の殺人鬼をハチャメチャに演じ、主役を食ってしまうほどの存在感を放つなど、狂暴性とイノセンスを併せ持つ役者として、高い評価を受けたのでした。

(※ヒロポンとは当時市販されていた覚醒剤)

「渡瀬恒彦のケンカ最強伝説とは?安岡力也や岩城滉一をボコボコに!」に続く

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