11歳の時、戦争でご家族を亡くされたため、その後、お父さんの知り合いだった落語家の3代目三遊亭金馬さんの養女になられた、海老名香葉子(えびな かよこ)さん。1952年には、初代林家三平さんと結婚され、1980年、三平さんが亡くなられて以降は、一門を支えられています。また、戦争体験を絵本にまとめられたり、平和の尊さを訴える講演活動やテレビ出演などを積極的に行われています。


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年齢は?出身は?本名は?

海老名さんは、1933年10月6日生まれ、
東京府東京市本所区竪川町(現在の東京都墨田区立川3丁目)のご出身、

本名は、海老名 嘉代子(読み同じ)、
(旧姓:中根)

ちなみに、生家は、
釣り竿の名匠「竿忠」、だそうです。

戦災孤児に

海老名さんは、和竿(わさお)職人の、
娘として誕生し、

両親、おばあさん、3人のお兄さん、1人の弟の、
計8人家族だったのですが、

戦争中、海老名さんだけ、
お父さんの妹夫婦が住む静岡県沼津市に疎開。

その後、1945年3月、
11歳の時に、東京大空襲が起き、

その4日後、2歳年上の3番目のお兄さんが、
ボロボロの姿で、海老名さんを訪ねて来られ、

みんな死んじゃった。
守れなかった。香葉子、ごめん。

と、言われたことで、
家族の死を知ることとなります。

(3番目のお兄さん、中根喜三郎さんは、
 後に、「竿忠」の4代目となられています。)

海老名さんと中根喜三郎さん。

こうして、孤児となった海老名さんは、
親戚をたらい回しにされるのですが、

優しかった親戚の態度が豹変し、

「なんでお前が生き残ったんだ」

と、言われ、

さらに、財産や土地は、
海老名さんの知らないところで、
全て奪われてしまったそうです。

海老名さんは、当時を振り返り、

みんな変わってしまったんですよね。
しようがないと言えばしようがないかもしれないけど・・・

と、語っておられました。

落語家3代目三遊亭金馬の養女に

しかし、ある日のこと、海老名さんは、
自宅跡に、お父さんの知人で、釣り好きで知られた、
落語家の3代目三遊亭金馬さんの、

「金馬来たる。連絡乞う」

との看板を見て、
神田にある楽屋を訪ねると、

金馬さんが、

生きていたのか! 
辛かっただろう。うちの子になりなさい。

と、言ってくれたそうで、
金馬さんの養女となられたのでした。

3代目三遊亭金馬さん

初代林家三平と結婚、落語界一門のおかみさんとして

そして、時は流れ、金馬家に、
七代目林家正蔵さんの妻が出入りしていた関係から、

海老名さんは、その息子の、
初代林家三平さんと知り合うこととなり、
1952年4月に結婚。

以後、海老名さんは、
三平さんの芸能活動をサポートしながら、

長女の海老名美どりさん、次女の泰葉さん、
長男の九代目林家正蔵さん、次男の二代目林家三平さん、
の4人の子どもを育てられ、

1980年に、初代三平さんがガンで亡くなると、
通常、師匠が亡くなった場合、一門が解散する落語界において、

海老名さんは、おかみさんとして
一門の精神的支柱となり、一門を支えられたのでした。

(左から)美どりさん、三平さんの母・歌さん、泰葉さん、
泰孝さん(二代目林家三平)、香葉子さん、三平さん。(1965年当時)

初代林家三平の隠し子の存在

しかし、2007年、
週刊文春によって驚きの事実が報じられます。

実は、ご主人の初代三平さんに、
隠し子がいたというのです。

1952年、海老名さんと三平さんが、
4畳半2つの部屋で、三平さんのお母さんと、
新婚生活をスタートされると、
翌年には、娘の海老名美どりさんが誕生。

海老名さんは、三平さんが真打ち(※)に昇進するまで、
マッチのラベル貼りなどの内職で家計を支えられると、

(※真打ちとは、落語界の階級で、最上位。)

1958年には、三平さんが真打ちに昇進し、
三平ブームが到来するのですが、

初代林家三平さん

海老名さんは、それまでの無理がたたり、
過労から肺炎を患い、入退院を繰り返すようになってしまいます。

また、その後、1961年には、
二人目の娘、泰葉さんを出産されるのですが、

三平さんは、その間、約5年に渡り、
銀座7丁目のバーのホステスの女性と、
不倫関係になっていたのでした。

しかも、海老名さんがその女性の存在を知った時、
すでに妊娠8カ月だったそうで、

海老名さんは、手切れ金50万円を用意し、
生まれてくる子どもを引き取ることを決意。

海老名さんは、自分が妊娠したかのように見せかけるため、
お腹に座布団を巻いておられたといいます。

しかし、その女性は、
出産を間近に控えた1959年12月、
突然アパートから姿を消してしまい、

海老名さんが赤ちゃんを引き取ることは、
なくなってしまいます。

ちなみに、この女性は、
一人で出産し、子育てをされたようで、

三平さんの構成作家を務められた、
三遊亭笑三さんは、

上野の松阪屋の前でしたか。
小さい男の子の手を引いていた彼女とばったり会いました。
4歳か5歳くらいだったでしょうなぁ。冬の寒い晩でした。

向こうから声をかけてきて、
『三平さんの子どもです』と、ハッキリ言っていましたね。

と、明かされています。

娘、海老名美どりとの確執

ところで、海老名さんは、長年、
娘の海老名美どりさんとの確執を、
マスコミに取り沙汰されています。

というのは、美どりさんが、
香葉子さんと同居せず、根岸の自宅から出たことと、

海老名家がお世話になっている石原プロから、
美どりさんの夫である、峰竜太さんが独立したことが、
香葉子さんには、気に入らなかったとのこと。

(美どりさん的には、「下嶋(峰さんの本名)家の嫁」として、
 当時無名だった峯さんを盛り立てようと、奮闘されていたゆえの、
 ことだったようですが・・・)

一方、美どりさんは美どりさんで、
お父さんの三平さんの隠し子の存在を、
香葉子さんがずっと隠してきたことから、
不信感を募らせていたのだとか。

そして、1991年、
美どりさんが、記者会見を行うと告知し、
離婚会見を期待した記者たちを集めると、

著作「ビッグアップル殺人事件」の宣伝と、
ミステリー作家になるとの宣言会見で、
ひんしゅくを買ってしまうのですが、

香葉子さんも、この美どりさんの行動を全否定され、
お二人の間に決定的な亀裂が入ってしまったのでした。

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二代目林家三平さんの結婚で氷解?

ただ、そんなお二人の確執も、
香葉子さんの息子(美どりさんの弟)である、
二代目林家三平さんの結婚を契機に氷解し始めます。

実は、二代目林家三平さんが、
国分佐智子さんとの結婚を決められた際、

最初にお姉さんである美どりさんに、
恋人の国分さんを紹介されたそうですが、

香葉子さんは、それを知りつつも、怒るどころか、
三平さんと国分さんを笑顔で迎え入れられたことから、

美どりさんは、香葉子さんの器の大きさを、
感じ取られたのだとか。

そして、2012年9月に行われた、
初代林家三平さんの「三十三回忌法要の会」では、

いたわるように、香葉子さんの手を引いている、
美どりさんの姿があり、お二人が打ち解けられたことが、
明らかとなったのでした。

初代林家三平さんの33回忌より。(左から)峰竜太さん、
海老名美どりさん、二代目林家三平さん、海老名香葉子さん、
九代目林家正蔵さん、国分佐智子さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

2016年11月には、
息子の二代目三平さんご夫婦に男の子が誕生。
6人目の孫のおばあちゃんとなられ、

おとなしそうで本当にかわいい子です。
泰助(三平の本名)にちょっと似てるかな。
さっちゃん(国分さん)にも似ている。

と、喜びの表情を、
見せておられた海老名さんですが、

ご主人の浮気や、娘との確執など、
次々と降りかかるご家族の困難を、
すべて丸く収められた、その懐の深さは、

幼い頃、戦争で家族の大半を亡くされたことによる、
家族への思い入れの強さがそうさせるのかもしれませんね。

これからも、その包容力で、
落語一門のおかみさんとして、
みんなを支えてあげてほしいですね♪

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