1972年、スタイリストを目指して「サン・デザイン研究所」で勉強した後、「伊東衣服研究所デザイン科」に入学すると、卒業後は、デザイン会社を設立し、
1990年には、父・黒澤明監督の映画「夢」で衣裳担当として参加すると、以降、「八月の狂詩曲」「まあだだよ」で衣裳デザインを担当した、黒澤和子(くろさわ かずこ)さん。
そんな黒澤和子さんは、中学生の時、ファッションにこだわりのあったお母さんの影響でファッションデザイナーに憧れるようになったそうですが、その後、お母さんによってどんどん準備が進められ、高校を中退し、スタイリストの学校に行くようになったといいます。
今回は、黒澤和子さんの幼少期(生い立ち)から高校中退するまでをご紹介します。
黒澤和子のプロフィール
黒澤和子さんは、1954年4月29日生まれ、
(父・黒澤明監督の映画「七人の侍」の打ち上げと同じ日だったそうです)
東京都の出身、
血液型はA型、
学歴は、
成城学園高等学校中退、
趣味は、ミステリー、刑事ものの小説を読むこと、DVD鑑賞、
ちなみに、「黒澤和子」本名です。
黒澤和子の父親は黒澤明、母親は矢口陽子
黒澤和子さんの、
お父さんは、映画監督の黒澤明さん、
お母さんは、女優の矢口陽子さん、
お兄さんは、映画プロデューサーの黒澤久雄さん
姪(兄の娘)は、元女優の黒澤優さん、歌手の黒澤萌さん、
という、芸能一家です。
黒澤和子が幼い頃は父・黒澤明の影響で家に頻繁に映画関係者が出入りしていた
黒澤和子さんは、お父さんの黒澤明さんとお母さんの矢口陽子さんのもと、2人きょうだい(9歳年上の兄・黒澤久雄さん)の長女として誕生すると、
幼い頃は、にぎやかなことや、人に食べさせることが好きだったお父さんの影響で、家には頻繁に映画関係者が出入りしていたそうですが、
それだけではなく、いつも誰かが住んでいたり、居候がいたりしていたそうで、黒澤和子さんが高校生ぐらいまで家族水入らずで過ごしたことがなかったそうです。
(知らない人が家でご飯を食べており、お父さんに聞いても「知らないよ」ということもあったそうですが、それが黒澤家の日常の風景だったそうです)
ちなみに、お父さんの黒澤明さんは、仕事では厳しい人だったそうですが、家では子供のように素直で裏表がなく、映画のことしか考えていない無防備な人だったそうで、黒澤和子さんは、「勉強しろ」などと言われたことはなく、叱られたこともなかったそうです。
黒澤和子は小学校時代に”黒澤明の娘”という理由でいじめられていた
ただ、黒澤和子さんは、小学校に入った頃から、”黒澤明の娘”ということでいじめに遭い、不登校になってしまったといいます。
(幼稚園の頃から成城学園に通っていたそうです)
それでも、両親には「学校に行け」と言われることはなく、むしろ、お父さんは、絵を描くことを勧め、娘が学校に行っていないことを気にしていない様子だったそうで、
(お父さんは、もともと心配性で、黒澤和子さんが林間学校などで家にいないと、ふてくされるような人だったそうです)
やがて、黒澤和子さんは、「学校に行ってみようかな」という気持ちになり、自然と学校に行くようになったのだそうです。
黒澤和子は小学生の時に「娘を誘拐する」と脅迫されていた
そんな中、黒澤明監督の誘拐事件を題材にした映画「天国と地獄」が公開されると、
お前の娘を誘拐するぞ
という脅迫がきたそうで、
これには両親がひどく心配し、学校以外、外出禁止にさせられたうえ、車での登下校を余儀なくされたそうで、
黒澤和子さんは、
そのときは囚われの身というか、自由がなかった。だからか、夢見がちな少女に育ってしまったのかなと思いますね。
と、語っています。
「天国と地獄」より。(左から)仲代達矢さん、三船敏郎さん、香川京子さん。
黒澤和子は高校を中退しスタイリストの道を目指していた
さておき、黒澤和子さんは、中学生の時には、ファッションにこだわりのあったお母さんの影響で、ファッションデザイナーに憧れるようになったそうですが、
(お母さんは、家族全員の洋服の生地を選びデザインしていたそうです)
この時はまだ、それほど深くファッションデザイナーになりたいと思っていたわけではなかったそうで、その後、エスカレーター式で高校に進学しそうです。
ただ、ある日のこと、お母さんが、突然、黒澤和子さんの部屋に入ってきて、
(お父さんとケンカをしたようで)
今どきの女の人は、職業を持っていないとダメよね。離婚もできないし
あなたも仕事を決めなさい!
何になりたいの?
と、言われたそうで、
黒澤和子さんは、あまりにも急だったことと、お母さんの剣幕がすごく、とりあえず、
ファッションデザイナー
と、答えたそうですが、
お母さんは、すぐにフランス語の先生を呼ぶなど準備を始め、黒澤和子さんは、高校を中退してスタイリストの学校に行くことになったそうで、
黒澤和子さんは、そのことについて、
咄嗟(とっさ)に口にしたことがどんどん現実になってしまったのです。でも「それでいい」というのが私の考え方です。家族の中心はともかく「黒澤映画」であり、父と、父を支える母のことが優先される家でした。
だからといって、そこに不満を持って生きるのは嫌だった。だったら、自分に与えられた環境で精一杯やってみよう。そうすればおのずと結果はついてきて、きっと自分の花が咲くだろうと。子どもの頃から染みついたその性格は、今でも変わっていません。
と、語っています。
「【画像】黒澤和子の若い頃は?現在までの衣装デザイン作品(映画ドラマ)は?」に続く
10代からファッションデザイナーとしての活動を始めると、その後、お父さんの黒澤明監督に勧められ、映画の衣裳デザインも手掛けるようになったという、黒澤和子(くろさわ かずこ)さん。 今回は、黒澤和子さんの、若い頃から現在ま …