1940年、19歳の時、「嫁ぐ日まで」で映画デビューすると、以降、脇役を中心に映画に出演し、1944年、23歳の時には、黒澤明監督作品「一番美しく」で主演に抜擢されるも、その翌年、芸能界を引退した、矢口陽子(やぐち ようこ)さん。
今回は、矢口陽子さんの、生い立ち、若い頃から他界されるまでの出演映画や経歴をご紹介します。
矢口陽子のプロフィール
矢口陽子さんは、1921年8月27日生まれ、
イギリス領香港生まれ、
学歴は、
昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退、
ちなみに、本名は「黒澤喜代」(旧姓は加藤喜代)というそうですが、実生活では「喜代子」と名乗っていたそうです。
また、松竹少女歌劇団では、「若園照美」の芸名で活動していたそうです。
矢口陽子は幼少期を香港や上海で過ごしていた
矢口陽子さんは、日本郵便の社員だったお父さんのもと、香港で誕生すると、
幼少期を海外で過ごし、上海の小学校を卒業後に日本に帰国したそうです。
矢口陽子は17歳の時に松竹少女歌劇団に入団していた
そんな矢口陽子さんは、昭和高等女学校(現在の昭和女子大学附属昭和高等学校)在学中、女優の水の江瀧子さんに憧れ、
17歳の時、高校を中退して、松竹少女歌劇団に入団したそうで、「若園照美」の芸名で初舞台を踏んだそうです。
矢口陽子は19歳の時に東宝に移籍し「嫁ぐ日まで」で映画デビュー
ただ、18歳で松竹少女歌劇団を退団すると、1940年、19歳の時には、東宝に移籍し、「矢口陽子」と改名したそうで、
同年、「嫁ぐ日まで」で映画デビューを果たしています。
「嫁ぐ日まで」より。
矢口陽子は23歳の時に黒澤明監督作品「一番美しく」で主演に抜擢されていた
そんな矢口陽子さんは、主に脇役で映画に出演していたそうですが、
1944年、23歳の時には、太平洋戦争末期の女子挺身隊を描いた、黒澤明監督の映画「一番美しく」で主演に抜擢されています。
「一番美しく」より。
矢口陽子は24歳の時に黒澤明監督と結婚し芸能界を引退していた
しかし、1945年、23歳の時に、黒澤明監督と結婚すると、
黒澤明監督のサポートに徹するため、芸能界を引退しています。
矢口陽子は63歳で他界していた
以降、矢口陽子さんは、ほとんどメディアに登場しておらず、
黒澤明監督を支え続けていたそうですが、1985年2月1日、63歳で他界されています。
(死因は明かされていません)
矢口陽子の出演作品(映画)
それでは最後に矢口陽子さんの主な出演作品(映画)をご紹介します。
- 1940年「嫁ぐ日まで」
- 1940年「金語楼の噫無情」
- 1940年「エノケンの孫悟空」
- 1940年「姑娘の凱歌」
- 1940年「蔦」
- 1941年「女学生記」
- 1941年「わが愛の記」
- 1941年「男の花道」
- 1942年「青春の気流」
- 1942年「母は死なず」
- 1943年「若き日の歓び」
- 1944年「一番美しく」
- 1944年「日常の戦ひ」
- 1946年「煉瓦女工」
などに出演していますが、
矢口陽子さんは結婚後は映画に出演していません。
(「煉瓦女工」に関しては、1940年に完成するも、戦前の検閲を通過できなかったことから、戦後の1946年に公開されたそうです)
「矢口陽子の夫・黒澤明との馴れ初めは?結婚後の夫婦関係は?」に続く
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