1945年に黒澤明監督と結婚すると、結婚後は、子供2人を出産した、矢口陽子(やぐち ようこ)さん。

今回は、矢口陽子さんと黒澤明さんの間に誕生した子供(息子と娘が1人ずつ)についてご紹介します。

矢口陽子

「矢口陽子の夫・黒澤明との馴れ初めは?結婚後の夫婦関係は?」からの続き

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矢口陽子と黒澤明の間には子供が2人

矢口陽子さんと黒澤明さんの間には、男の子と女の子が1人ずつ誕生しています。

息子(長男)は黒澤久雄

まず、矢口陽子さんの長男は、1945年12月20日に誕生した音楽プロデューサーの黒澤久雄さんです。

黒澤久雄
矢口陽子さんの長男・黒澤久雄さん。

黒澤久雄さんは、成城大学在学中の1964年、フォークバンド「ブロード・サイド・フォー」を結成すると、1966年、テレビドラマ「若者たち」の主題歌として制作された、同名シングル「若者たち」(1966年8月1日発売)が30万枚を売り上げる大ヒットを記録するのですが、

留学により「ブロード・サイド・フォー」を解散すると、その後は、ソロで音楽活動をする一方、「おはよう!こどもショー」で司会、「象印クイズ ヒントでピント」にレギュラー出演するほか、「クイズダービー」にゲスト解答者として出演するなど、タレントや司会としてテレビ番組に出演。

また、1985年、映画「乱」から、お父さんである黒澤明監督の作品にプロデューサーとして参加するようになると、以降、「夢」(1990年)、「八月の狂詩曲」(1991)、「まあだだよ」(1991)を3作連続プロデュースするほか、黒澤明さんの遺稿をもとに映画化した「雨あがる」もプロデュースしたそうで、

現在は、「株式会社黒澤プロダクション」「株式会社黒澤フィルムスタジオ」などの代表取締役社長を務めているそうです。

矢口陽子と黒澤久雄
矢口陽子さんと黒澤久雄さん(当時5歳)。

娘(長女)は黒澤和子

矢口陽子さんの長女は、1954年4月29日に誕生した黒澤和子さんで、黒澤和子さんは、成城学園高等学校を中退後、サン・デザイン研究所に入所し、スタイリストの勉強をすると、その後、伊東衣服研究所デザイン科に入学し、

伊東衣服研究所デザイン科を卒業後は、デザイン会社を設立して、ファッションデザイナーとして活動していたそうですが、1985年に、お母さんの矢口陽子さんが他界したことで、黒澤プロダクションを手伝うようになったそうで、

1988年には、お父さんである黒澤明監督の進言で映画界に入り、1990年、黒澤明監督作品「夢」で衣裳を担当すると、以降、お父さんの作品「八月の狂詩曲」(1991)、「まあだだよ」(1993)の衣装を担当しています。

黒澤和子
矢口陽子さんの長女・黒澤和子さん。

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矢口陽子は学校教育を重要だとは考えていなかった

ちなみに、矢口陽子さんは、料理がとても上手で、黒澤明さんは、その料理を食べさせたくて、いつも、大勢の人を家に呼んでいたそうですが、

特に、お正月には、入れ替わり立ち替わり100人もの人が来たそうで、矢口陽子さんはおせち料理を作るのに、大忙しだったことから、

娘の黒澤和子さんは、小学校2、3年生の頃から台所に入り、忙しいお母さんを手伝っていたそうで、中学に上がる頃には、

もうおせち料理は和子に任せるわ

と、言われるまでになったのだそうです。

ちなみに、矢口陽子さんは、お父さんが地方ロケで家を開けると、

バンザーイ!バンザーイ!さあ、和子、銀座に行こう!

と、言って、黒澤和子さんを何日も学校を休ませ、一緒に銀座に買い物に行ったり、食事をしたりしたそうで、

矢口陽子さんは、学校教育をそれほど重要だとは考えていなかったようです。

「矢口陽子の孫は6人で男の子4人と女の子2人!孫娘は黒澤優!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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