大学在学中の1966年、バンド「ザ・ブロードサイド・フォー」としての楽曲「若者たち」が、同名ドラマの主題歌に起用され、ファーストシングル「若者たち」が30万枚を売り上げる大ヒットを記録した、黒澤久雄(くろさわ ひさお)さんですが、
留学のためバンド「ザ・ブロードサイド・フォー」を解散すると、その後は、ソロで音楽活動をしつつ、タレント、俳優、ラジオ番組のパーソナリティー、映画プロデューサーなど、多方面で活動しています。
今回は、そんな黒澤久雄さんの、若い頃(バンド「ザ・ブロードサイド・フォー」解散後)から現在までの活躍や経歴を、時系列でご紹介します。
「黒澤久雄の生い立ちは?大学在学中に「若者たち」が大ヒットしていた!」からの続き
黒澤久雄は23歳~30歳の時にシングル「なぎさ」「白樺の想い出」「わかればなし」「二人だけの世界」「しあわせの唄」をリリース
黒澤久雄さんは、バンド「ザ・ブロードサイド・フォー」解散後は、ソロで音楽活動を続けると、
- 1968年(23歳)には、「なぎさ/白い砂浜」
「なぎさ/白い砂浜」 - 1968年(23歳)には、「白樺の想い出/白い砂浜」
「白樺の想い出/白い砂浜」 - 1969年(24歳)には、「わかればなし/青い雨」
「わかればなし/青い雨」 - 1970年(25歳)には、「二人だけの世界/Can’t Help Falling In Love/ハッピー・ハート」
- 1975年(30歳)には、「しあわせの唄/家族」
「しあわせの唄/家族」
「二人だけの世界/Can’t Help Falling In Love」
と、シングルを多数リリースするほか、
1975年には、アルバム「人生ひと休み」をリリースしています。
黒澤久雄は25歳~38歳の時に俳優、タレント、ラジオパーソナリティーとしても活動
また、黒澤久雄さんは、音楽活動以外にも、DJやタレントとしても活動の場を広げて、
- 1970年(25歳)には、「ヤング720」(若者向け情報番組)
「ヤング720」より。黒澤久雄さんと早瀬久美さん。 - 1972年(27歳)には、「3丁目4番地」(ドラマ)
- 1975年(30歳)には、「あこがれ共同隊」(ドラマ)
- 1976年(31歳)には、「おはよう!こどもショー」(子ども向け番組)
- 1976年(31歳)には、「クイズダービー」(クイズ番組)
「クイズダービー」より。(左から)竹下景子さん、沢田研二さん、黒澤久雄さん。 - 1977年(32歳)には、「近眼ママ恋のかけひき」(ドラマ)
- 1979年~1983年(34歳~38歳)には、「象印クイズ ヒントでピント」(クイズ番組)
などのテレビ番組に出演しており、
1979年から1983年までレギュラー出演していた、「象印クイズ ヒントでピント」で、広くお茶の間に知られるようになったのでした。
ちなみに、「クイズダービー」には、ゲスト解答者として頻繁に出演し、はらたいらさんに次ぐ24連勝という記録を打ち立て、ゲスト解答者の中では驚異的な約91.8%という勝率を誇ったそうです。
また、黒澤久雄さんは、ラジオでも、「ヒットヒットパレード」 のパーソナリティを務めるなど、多方面で活躍しています。
黒澤久雄は40歳の時に「乱」を皮切りに父・黒澤明の作品にプロデューサーとして関わるようになっていた
そして、1985年、40歳の時には、映画「乱」を皮切りに、
- 1990年(45歳)「夢」
- 1991年(46歳)「八月の狂詩曲」
- 1993年(48歳)「まあだだよ」(黒澤明監督の遺作)
と、お父さんである黒澤明監督の作品に、映画プロデューサーとして関わるようになったそうです。
黒澤久雄は55歳と57歳の時に映画「雨あがる」「海は見ていた」でプロデューサーを務めていた
また、黒澤明監督が1998年に他界後は、2000年には、黒澤明監督の遺稿を基にした「雨あがる」、2002年には「海は見ていた」の2つの映画で、プロデューサーを務めると、
2001年には、「雨あがる」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しています。
「海は見ていた」の特別試写会より。長嶋茂雄さん(左)と黒澤久雄さん(右)。
黒澤久雄は70歳の時にドキュメンタリー映画「MIFUNE: THE LAST SAMURAI」に出演
そして、
- 2014年(69歳)には、「The Hound of Heaven」
- 2015年(70歳)には、「Many Beautiful Things」
で、エグゼクティブプロデューサーを務めるほか、
2015年、70歳の時には、ドキュメンタリー映画「MIFUNE: THE LAST SAMURAI」に出演しています。
「MIFUNE: THE LAST SAMURAI」より。
黒澤久雄の現在は?
そんな黒澤久雄さんは、現在、「株式会社黒澤プロダクション」と「株式会社黒澤フィルムスタジオ」の代表取締役社長、「黒澤明文化振興財団」の理事長を務め、黒澤監督作品の著作権管理や文化事業を行っているほか、「株式会社デザインエクスチェンジ」の社外取締役も務めています。
また、クロサワ映画の世界を食で再現するというコンセプトで、外食チェーン「レストラン黒澤グループ」として、都内に、「欅 くろさわ」「黒澤」ほか、都内に複数店舗、レストランを運営していたそうですが、
2024年現在は、「鉄板焼Kurosawa」のみ運営しているそうです。
「黒澤久雄の現在は?元妻は林寛子!再婚は?息子は?娘婿は松岡充!」に続く
大学在学中、バンド「ザ・ブロードサイド・フォー」として「若者たち」が大ヒットするも、留学のため、あっさりバンドを解散すると、その後は、ソロでの音楽活動、俳優、タレント、映画プロデューサーほか、マルチに活躍してきた、黒澤久 …