1995年、23歳の時、「君を忘れない」で映画デビューすると、以降、「こちら本池上署」「龍馬伝」「チームバチスタ」「螺鈿迷宮」「デザイナーベイビー」「寄生獣」など、数多くのテレビドラマに出演している、池内万作(いけうち まんさく)さん。
今回は、そんな池内万作さんの親族(父親、母親、弟、祖父、叔父)や家系図をご紹介します。
池内万作のプロフィール
池内万作さんは、1972年3月27日生まれ、
東京都の出身、
身長180センチ、
体重67キロ、
胸囲は102センチ、
胴囲は80センチ、
靴のサイズは27センチ、
血液型はO型、
出身大学は、ペディースクール(アメリカ)、
趣味は、旅、読書、
特技は、英語、
ちなみに、「池内万作」は本名で、おじいさんの伊丹万作さんにちなんで名付けられたそうです。
池内万作の父親は伊丹十三
池内万作さんのお父さんは、映画監督の伊丹十三さんです。
池内万作さんのお父さんの伊丹十三さん。
伊丹十三さんは、1954年、高校卒業後、上京し、新東宝に編集者として入社するも、同年には、商業デザイナーに転身すると、1960年、27歳の時には、俳優として大映に入社し、1961年には、国内だけでなく、海外の映画「北京の55日」「ロード・ジム」にも出演。
また、1970年代には、テレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、「遠くへ行きたい」など、数多くのドキュメンタリー番組の制作に関わり、自らレポートを担当すると、
1984年、51歳の時には、「お葬式」で映画監督デビューして、いきなり、数々の映画賞を受賞し注目を集め、
以降、
- 1985年「タンポポ」
- 1987年「マルサの女」
- 1987年「マルサの女2」
- 1990年「あげまん」
- 1992年「ミンボーの女」
- 1993年「大病人」
- 1996年「スーパーの女」
- 1997年「マルタイの女」
などで監督を務め、いずれも大ヒットしています。
池内万作の母親は宮本信子
池内万作さんのお母さんは、女優の宮本信子さんです。
池内万作さんのお母さんの宮本信子さん。
宮本信子さんは、高校卒業後の1963年、文学座付属演劇研究所に入所するも、ほどなくして退所し、1964年、劇団青芸に入団し、別役実さんの作品「三日月の影」で初舞台を踏むと、1967年には、「地の群れ」「神通川」などに出演。
その後、劇団青芸を退団後はフリーとなり、テレビドラマや映画に出演すると、
以降、「タンポポ」(1985年)、「マルサの女」(1987年)、「マルサの女2」(1987年)、「あげまん」(1990年)、「ミンボーの女」(1992年)、「大病人」(1993年)、「スーパーの女」(1996年)、「マルタイの女」(1997年)など、伊丹十三監督の作品で主演を務めました。
また、近年では、2013年、連続テレビ小説「あまちゃん」に出演して話題を集めるほか、2018年には、「この世界の片隅に」、2022年には、「メタモルフォーゼの縁側」「ハウ」など話題の映画に出演しています。
池内万作の弟は池内万平
池内万作さんの弟は池内万平(いけうち まんぺい)さんです。
お母さんの宮本信子さんと弟の池内万平さん。
池内万平さんは、1985年には、お父さんの伊丹十三さんが監督した映画「タンポポ」に子役として出演しているのですが、
お母さんの宮本信子さんによると、その際、助監督に怒鳴られすぎたせいか、芸能界に興味がなくなったそうで、現在は、「伊丹プロダクション」の取締役と「伊丹十三記念館」の役員をしているとのことです。
ちなみに、2023年、「伊丹十三記念館」で、「伊丹十三の 食べたり、呑んだり、作ったり。」展が開催された際、池内万平さんは、「NEWS ポストセブン」の取材に対し、お父さんである伊丹十三さんについてインタビューに答えていることから、お元気にされているようです。
池内万作の祖父は伊丹万作
池内万作さんのおじいさんは、映画監督の伊丹万作(いたみ まんさく)さんです。
伊丹万作さんは、1928年、28歳の時に、「仇討流転」で映画監督デビューすると、以降、立ち回りの演出が当たり前だった当時の時代劇において、知的で明るく、笑いの背後に鋭い風刺を込めた喜劇「国士無双」(1932)、「赤西蠣太」(1936)などの作品を次々と世に送り出すほか、
脚本家としても活躍し、中でも、「無法松の一生」「手をつなぐ子等」などが高く評価されました。
池内万作さんの祖父・伊丹万作さん。
池内万作の叔父は大江健三郎
池内万作さんの叔父さん(伊丹十三監督の妹のご主人)は、作家の大江健三郎さんです。
池内万作さんの叔父・大江健三郎さん。
大江健三郎さんは、東京大学文学部仏文科在学中の1956年、「奇妙な仕事」でデビューすると、1957年には、「死者の奢り」で文芸誌デビュー、1958年には、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞して、たちまち脚光を浴び、
以降、「万延元年のフットボール』(1967年)、「同時代ゲーム」(1979年)、「新しい人よ眼ざめよ」(1983年)などの作品を次々と発表すると、1994年には、ノーベル文学賞を受賞する快挙を遂げています。
池内万作の家系図
それでは、最後に、池内万作さんの家系図をご紹介します。
池内万作の家系図
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