「マルサの女」「ミンボーの女」など、伊丹十三監督の映画で、個性的なオバサンの役を数多く演じ、人気を博した、女優の宮本信子(みやもと のぶこ)さん。今回は、そんな宮本さんの生い立ちからブレイクに至る経緯についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
宮本さんは、1945年3月27日生まれ、
北海道小樽市生まれ(愛知県名古屋市育ち)、
身長156センチ、
血液型はO型、
靴のサイズは23センチ、
服のサイズは7号、
趣味は、
小唄、ジャズダンス、
学歴は、
愛知淑徳高等学校卒業、
ちなみに、「宮本信子」は本名で、結婚後は「池内信子」、
また、俳優の佐々木勝彦さんは、再従兄弟(宮本さんのお父さんと佐々木さんのお父さんである俳優の千秋実さんが従兄弟同士)だそうです。
幼少期から舞台に立つことに憧れていた
宮本さんは、お父さんが声が良く、民謡が得意だった影響から、幼い頃から日本舞踊を習っていたそうですが、5歳の時に発表会で舞台に立つと、大きな感動を覚え、以来、舞台に出ることに憧れて育ったそうで、
ラジオから流れる音楽を聴きながら、その音楽に合わせて歌ったり踊ったりするほか、2歳年下の妹さんにほうきを持たせて三味線を弾く格好をさせては、ラジオから流れる広沢虎造さんの「浪花節」に合わせて口パクをしたり、マイク代わりにほうきを持って歌ったり、ハタキをステッキ代わりにして、美空ひばりさんのマネをして遊んでいたそうです。
また、宮本さんは、叔父さんが名古屋に映画館を2館持っていたことから、洋画と「東映」の作品は顔パスで観せてもらうなど、幼い頃から映画を観ることに恵まれた環境で育ったそうです。
ただ、その一方で、「お昼寝の時間」が我慢できなくて幼稚園を3日で退園するほか、小学校時代は、しばしば保健室で過ごすなど、人と同じことをすることを強要されるのが嫌いな子どもだったそうです。
「文学座付属演劇研究所」⇒「劇団青芸」⇒「劇団青俳」⇒フリー
そんな宮本さんは、1963年、高校卒業後は女優を目指して、お父さんの従兄弟で俳優の千秋実さんを頼って上京すると、「文学座付属演劇研究所」に3期生として入所。
(ちょうど同時期、黒柳徹子さんも「文学座付属演劇研究所」で演劇を学ばれていたそうで、宮本さんにとって黒柳さんは、「大人の女性」と輝いて見えたそうです)
「文学座付属演劇研究所」時代の宮本さん。
千秋さんの付き人をしながら、演劇の勉強に励むと、翌年の1964年には、「劇団青芸」に入団し、「三日月の影」(別役実さん作)で舞台デビュー。
1967年には、「劇団青俳」で「地の群れ」「神通川」に出演するなどキャリアを積むと、1972年には、「劇団青俳」も退団してフリーとなり、ニューヨーク公演も行った「人形姉妹」など舞台を中心に活動されます。
夫・伊丹十三監督映画「お葬式」の主演でブレイク
また、宮本さんは、舞台活動のかたわら、1967年には、大島渚監督「日本春歌考」で、後に夫となる伊丹十三(当時は伊丹一三)さん扮する教師・大竹を慕う女子高生三人組の一人・里見早苗を演じ、映画デビューすると、
(宮本さんは、1969年、24歳の時、当時まだ俳優だった伊丹十三さんと結婚されています)
1971年には、山田洋次監督「男はつらいよ・純情篇」で、寅さんに助けられる人妻、
「男はつらいよ・純情篇」より。渥美清さんと宮本さん。
1973年には、森谷司郎監督「放課後」で、女子高生に惑わされる男の妻、
「放課後」より。栗田ひろみさん(左)と宮本さん(右)。
1982年には、山田典吾監督「ユッコの贈りもの・コスモスのように」で、白血病で死にゆく少女の母、
「ユッコの贈りもの・コスモスのように」より。
1984年には、森田芳光監督「ときめきに死す」で、旅館の女将役など、助演が続いていたのですが、
1984年、伊丹十三監督の映画「お葬式」で初主演に起用されると、映画が大ヒットし、宮本さんも一躍ブレイクされたのでした。
「お葬式」より。宮本さんと山崎努さん。
夫・伊丹十三監督映画「マルサの女」で日本アカデミー最優秀主演女優賞
そして、その後も、宮本さんは、
「タンポポ」(1985年)
「マルサの女」(1987年)
「マルサの女2」(1988年)
「あげまん」(1990年)
「ミンボーの女」(1992年
「大病人」(1993年)
「静かな生活」(1995年)
「スーパーの女」(1996年)
「マルタイの女」(1997年)
と、伊丹十三監督作品すべてに出演されているのですが、
1988年には、「マルサの女」で、「シカゴ国際映画祭最優秀主演女優賞」「日本アカデミー最優秀主演女優賞」「キネマ旬報報道主演女優賞」など、数多くの映画賞を受賞するなど、演技派女優の地位を確立。
宮本さんは、伊丹作品に出演し続けたことについて、
私にとっては(伊丹さんとは)本当に大きな出会いでした。10本の映画すべてに出させてくれたんですから。それもいろいろな役をやらせてもらって・・・。ずっとプレゼントをもらっているような感覚でした
と、語っておられます。
「マルサの女」より。