1984年、51歳の時、「お葬式」で映画監督デビューすると、いきなり、「日本アカデミー賞監督賞」「日本アカデミー賞脚本賞」ほか、数々の賞を受賞した、伊丹十三(いたみ じゅうぞう)さんは、その後も、「タンポポ」(1985年)、「マルサの女」(1987年)、「マルサの女2」(1988年)、「あげまん」(1990年)、「ミンボーの女」(1992年)と、次々と話題作を制作されるのですが、1992年、「ミンボーの女」が公開されると・・・

「伊丹十三は監督デビュー作「お葬式」でいきなり高評価を受けていた!」からの続き

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「タンポポ」

映画監督デビュー作「お葬式」がいきなりヒットし、「日本アカデミー賞監督賞」「日本アカデミー賞脚本賞」ほか、数々の映画賞を受賞した伊丹さんは、

翌年1985年には、しがないラーメン屋の店主である未亡人のタンポポ(宮本信子さん)が、自分がからまれているところを助けようとして逆にやられてしまったゴロー(山崎努さん)を介抱したことをきっかけに、「行列のできるラーメン屋」を目指す姿を描いた、「タンポポ」を公開すると、

興行成績は「お葬式」の半分程度だったとはいえ、それでも、アメリカでの興行成績は邦画部門で第2位にランクインするなど、国外で大きな注目を集めます。

(この映画を見てラーメン店を開業する外国人も現れたそうです )


「タンポポ」より。(左から)渡辺謙さん、宮本信子さん、山崎努さん。

「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」が大ヒット

そして、1987年には、国税局査察部(通称マルサ) に勤務する女性査察官(宮本信子さん)と脱税者とのやりとりをコミカルかつシニカルに描いた「マルサの女」を公開すると、「お葬式」を超える12.5億円もの配給収入を記録する大ヒットとなり、

「日本アカデミー賞」は、「最優秀作品賞」のほか、「最優秀監督賞および最優秀脚本賞」(伊丹さん)、「最優秀主演女優賞」(宮本信子さん)、「最優秀主演男優賞」(山崎努さん)、「最優秀助演男優賞」津川雅彦さん)と主要部門をほぼ独占する快挙。


「マルサの女」より。

翌年1988年には、第二弾である「マルサの女2」が公開されると、またしても、配給収入13億円の大ヒット。


「マルサの女2」より。宮本信子さんと津川雅彦さん。

さらに、1990年には、愛した男がなぜか運気が上がる芸者上がりのナヨコ(宮本信子さん)と彼女に翻弄される男たちの姿を描いた「あげまん」を公開すると、またしても、配給収入10億円の大ヒットとなるほか、「あげまん」という言葉が大流行したのでした。


「あげまん」より。

「ミンボーの女」

そんな伊丹さんは、1992年には、暴力団の対応に困ったホテルに雇われた、民事介入暴力専門の女性弁護士(宮本信子さん)が、暴力団に襲われて瀕死の重傷を負いながらも、最後はホテル従業員たちと一丸となって、暴力団を排除する姿を描いた「ミンボーの女」を公開するのですが・・・

(※「ミンボー(民暴)」とは、民事介入暴力(みんじかいにゅうぼうりょく)の通称で、暴力団が当事者として(またはその代理人として)民事紛争に介入し、暴力や集団の威力を背景に不当に金品を得ようとする行為一般を指し、1979年12月、警察庁が「民事介入暴力対策センター」を設置した際に作られた造語だそうです。)


「ミンボーの女」より。宮本信子さんとガッツ石松さん。

襲撃事件で全治3ヶ月の重症

映画「ミンボーの女」が公開されて1週間後の夜、伊丹さんは、自宅近くで、刃物を持った5人組の男に襲撃され、顔や両腕などに、全治3ヶ月の重症を負ってしまいます。

というのも、この「ミンボーの女」では、バブルが弾けて土地で儲けることができなくなった暴力団が弁護士などから学んで法の網の目をくぐって編み出した手法をさらけ出し、なおかつ、それに対するお手本を示しており、彼らの新たな生業(なりわい)や面子(メンツ)を潰すものだったのです。

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脅しに屈せず映画を撮り続ける

それでも、伊丹さんは、病院に搬送された際、取材陣に「大丈夫ですか!」と声をかけられると、豪胆にもピースサインで答えられており、

その後、辛くも手術で一命を取り留めると、

妻の宮本信子さんを通して、

これからも(脅しに屈せず)社会派映画を作っていきます

と、宣言。

翌年の1993年には、ガンで余命1年となった男が、残りの人生をどう生き、どう死ぬかという人間の葛藤を描いた「大病人」を公開すると、今度は、映画公開中に映画館のスクリーンが切り裂かれる事件が発生したほか、脅迫、嫌がらせなど、数多くの被害を受けるのですが、

その後も、妨害にもめげず、

1995年には、「静かな生活」
1996年には、「スーパーの女」
1997年には、「マルタイの女」

と、制作されたのですが・・・

ついに、1997年12月20日、取り返しのつかない悲劇が起きます。

「伊丹十三の死因は自殺?他殺説が多い理由とは?」へ続く

傷害事件後初の会見で当日の様子を話した伊丹さんと妻の宮本信子さん。

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