2018年に逮捕されるまで、実力派俳優として引っ張りだこだった、新井浩文(あらい ひろふみ)さんは、
小学4年生の時に卓球を始め、高校時代には全国大会に出場するほどの腕前だった中、高校3年生の進路を考える時期、漠然と「有名になりたい」と思うようになり、上京していたといいます。
今回は、新井浩文さんの、国籍や本名、少年時代(生い立ち)から19歳で上京して大楠道代さんの付き人になるまでをご紹介します。
新井浩文のプロフィール
新井浩文さんは、1979年1月18日生まれ、
青森県弘前市の出身、
身長181センチ、
血液型はA型、
学歴は、
青森県立弘前実業高等学校中退、
趣味は、パチンコ、麻雀などギャンブルだそうです。
新井浩文は在日朝鮮人三世!本名(韓国名)は?国籍は?
新井浩文さんは、在日朝鮮人三世なのですが、もともと、「朝鮮」国籍だったのを、2005年に「韓国」国籍に変更していたといいます。
というのも、公的書類の国籍欄が「朝鮮」となっている人がいるそうですが、これは、「北朝鮮」国籍ではなく、「地域名(朝鮮半島)」を指していて、国家を表していない為、パスポート等は発行してもらえないそうで、
パスポート等を発行してもらうには、「韓国」国籍を取得するか、「日本」国籍を取得(長年日本に住んでいる等の条件を満たしていれば)しなければならないそうで、
新井浩文さんは、「韓国」国籍にするか、「日本」国籍にするか、考えた結果、「仕事で韓国に行くこともあるため」との理由で、「韓国」国籍を選んだのだそうです。
やはり、将来は祖国に帰りたい気持ちが大きかったのかもしれませんね。
ちなみに、新井浩文さんの本名(韓国名)は、「朴 慶培(Kyung-Sik Park)」というそうです。
新井浩文は高校時代に卓球で全国大会に出場していた
さておき、新井浩文さんは、小学校4年生から卓球を習い始めると、中学、高校と続け、高校では、全国大会に出場するほどの腕前になったそうですが、
高校では、昼間に学校へ行き、学食を食べて午後に部活に出るという、ほとんど授業に出ない生活を送っていたそうで、
新井浩文さんは、その理由について、
実際(高校に)入ってみたら、情報処理科なんですけど、パソコンとか簿記とかやるんですよ。
その職業に就きたい奴はそういう検定とかが必要だけど、別にやりたかねえしなって(笑)。意味ないじゃない(笑)って思い始めて。そこからもう授業出始めなくなって。
と、語っています。
高校時代の新井浩文さん。
新井浩文は高3の時に日本映画学校の進学を希望するも推薦してもらえず高校を中退していた
そして、高校3年生になり、進路について考える時期になると、
(漠然と)有名になりたい
と、思うようになったそうで、
「日本映画学校」への進学を希望し、先生に推薦を申し出たそうですが・・・
遅刻が多かった新井浩文さんは、先生から「推薦できない」と言われたそうで、高校を中退したのだそうです。
新井浩文は19歳で上京して荒戸源次郎と知り合い大楠道代の付き人となっていた
そんな新井浩文さんは、その後、19歳の時、
東京に行けば道は開かれるだろう
という軽い気持ちから上京したそうで、
同じ高校の出身でモデルになった人が、原宿でスカウトされたと聞いて、同じように原宿を歩いてみたそうですが、残念ながらスカウトされることはなかったそうです(笑)
ただ、そんな中、世田谷通りにある行きつけの屋台で、映画監督の荒戸源次郎さんと知り合い、荒戸源次郎さんに気に入られて、実力派女優の大楠道代さんを紹介されたそうで、大楠道代さんの付き人となったのだそうです。
ちなみに、荒戸源次郎さんは、新井浩文さんとの出会いを、
飲んでいたら奴が話しかけて来てね。話してみると、『俳優になりたい』と言うから、『お前、顔はきれいだけど、俳優は無理だな』とからかったんだよ。
そしたらビール瓶で殴りかかろうとしてきた(笑)。まあ、それくらいあいつも本気だったんだろう。
当時の新井の印象は何とも言い難いけど、今どき有名になりたいだけで、裸一貫上京してくるなんて、珍しい子だなと思ったのを覚えている。
俳優として見どころがあるかどうかは、正直分からなかったが、とにかく話していて面白かった。上手く言えないけど『欲望に羽が生えている』という感じかな。
と、語っています。
「【画像】新井浩文の若い頃は?デビューから現在までの出演ドラマ映画は?」に続く
2018年に事件を起こして逮捕されて以降、芸能界から姿を消している、新井浩文(あらい ひろふみ)さんですが、 それまでは、2001年に、映画「GO」でデビューして以来、「青い春」「ゲルマニウムの夜」「松ヶ根乱射事件」など …