1967年、21歳の時には、映画「痴人の愛」で体当たりの演技を見せ、青春スター路線から、異色演技派女優への転身に成功すると、以降、数多くの映画やテレビドラマに出演し、
1975年からは、結婚により一時活動を休止するも、1980年、「ツィゴイネルワイゼン」で女優業に復帰すると、以降、40年以上に渡り、演技派女優として第一線で活躍し続けている、大楠道代(おおくすみちよ)さん。
今回は、そんな大楠道代さんの、若い頃(デビュー)から現在までの出演映画ほか経歴をご紹介します。
「大楠道代の生い立ちは?短大時代に勝新太郎から直接オファーされ映画界入り!」からの続き
大楠道代は20歳の時に「処女が見た」で若尾文子とダブルヒロインを務めていた
若山富三郎さんと勝新太郎さんから熱烈オファーを受け、大映と契約を結んだ大楠道代さんは、「山本富士子の再来」と大々的に売り出されたそうで、
1966年、「処女が見た」で、美貌の尼僧(若尾文子さん)と心を通わせるようになる、尼寺に預けられた不良少女を演じると、注目を集めます。
「処女が見た」より。若尾文子さん(左)と大楠道代さん(右)。
大楠道代は20歳の時に映画「氷点」でヒロインを務めるも酷評されていた
ただ、同年(1966年)、この年にヒットしたテレビドラマ「氷点」が映画化され、ヒロイン・陽子役に起用されるも、
- 新人女優としての演技力不足(原作で求められる「天使のような純真さ」「誰にでも愛される存在」を表現する技量が備わっていなかった)
- 継母役の若尾文子さんがあまりにも美しく、陽子役との対比が不自然
などの理由から、”ミスキャスト”と酷評されるなど、評価は散々で、
大楠道代さん自身も、1966年、朝日新聞での対談で、
原作を読んだ時、偽善みたいな気がして、やりにくかった
と、語っています。
「氷点」より。若尾文子さん(左)と大楠道代さん(右)。
大楠道代は21歳の時に「痴人の愛」の体当たりの演技で青春スター路線からの脱皮に成功していた
そんな大楠道代さんは、この経験をきっかけに、演技への取り組み方を変えたそうで、
翌年の1967年、21歳の時、映画「痴人の愛」でのヒロイン・ナオミ役で、体当たりの演技を披露すると、見事、青春スター路線から異色演技派女優への転身を果たしています。
「痴人の愛」より。大楠道代さんと小沢昭一さん。
大楠道代が22歳~23歳の時には「秘録おんな」シリーズ、「関東おんな」シリーズなどに出演していた
その後、大楠道代さんは、1968年から1969年には、低予算の「秘録おんな」シリーズ、「関東おんな」シリーズなどのエログロ・異色時代劇路線で主演を務めるほか、
朝は現代もの、昼は時代劇などで勝新太郎さんや市川雷蔵さんの相手役を務めるなど、数多くの映画で様々な役柄をこなしたそうで、
この時期は、何の映画に出演しているのか分からないほど、多忙を極めたそうです。
大楠道代は25歳の時に大映を退社しフリーとなっていた
また、大楠道代さんは、1971年、25歳の時、大映倒産直前に大映を離れてフリーになると、
同年には、東映の「博奕打ち・いのち札」で鶴田浩二さんと共演し、若手ながら、成熟した大人の女性を演じ、高く評価されています。
大楠道代は29歳の時に結婚により芸能活動を休止していた
その後も、大楠道代さんは、
- 1972年「新兵隊やくざ 火線」
- 1973年「子連れ狼 冥府魔道」
- 1974年「喜劇 だましの仁義」
- 1974年「金環蝕」
などに出演していたのですが、
1975年、29歳の時には、結婚をきっかけに、一時、芸能活動を休止しています。
(結婚の際、芸名を、本名の「安田道代」から「大楠道代」に改名したそうです)
大楠道代は34歳の時に映画「ツィゴイネルワイゼン」で本格的に女優復帰していた
そして、1980年、34歳の時、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」で本格的に女優復帰した大楠道代さんは、見事、「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」「キネマ旬報助演女優賞」などを受賞し、復帰を飾っているのですが、
「ツィゴイネルワイゼン」より。
実は、鈴木清順監督からオファーを受けた際、「ツィゴイネルワイゼン」の企画に魅力を感じて、すぐに出演を決意していたといいます。
また、鈴木清順監督からは、長い巻物の手紙でオファーを受けたそうですが、その手紙の中には、
好きなようにやってください
と、書かれてあったそうですが、
大楠道代さんは、その言葉通り、「ツィゴイネルワイゼン」の中で、衣装、芝居を含め、やりたいことを全部やることができたそうで、
大映創立75年を記念した「大映女優祭」に出席した際には、
『ツィゴイネル』で初めて私が私になれた。あのワクワク感は忘れられません。原田(芳雄)さんや(鈴木)清順さん、荒戸(源次郎)さんという仲間が先に逝ってしまったのは寂しい。
でも今回、安田道代という私の前世の映画(笑)が上映されるんだから、これからも心躍る試みに参加できたらいいですね
と、語っています。
(映画は低予算だったため、衣装は、ほとんどが大楠道代さんの私服、もしくは、着たい洋服を準備したものだったそうです)
大楠道代が50代の時には数々の賞を受賞し演技派女優としての地位を確立していた
そんな大楠道代さんは、その後も、数多くの映画に出演し、
- 2000年、54歳の時には、「顔」で「日本アカデミー賞優秀助演女優賞」「キネマ旬報助演女優賞」
- 2003年、57歳の時には、「座頭市」(北野武監督)と「赤目四十八瀧心中未遂」(荒戸源次郎監督)の2作品で「ブルーリボン賞助演女優賞」「毎日映画コンクール女優助演賞」「日本アカデミー賞優秀助演女優賞」「キネマ旬報助演女優賞」
- 2005年、59歳の時には、「春の雪」(行定勲監督)で「日本アカデミー賞優秀助演女優賞」
など、数々の栄えある賞を受賞し、演技派女優としての地位を確立しています。
大楠道代は70代の現在も現役で活動中
また、大楠道代さんは、近年も、
- 2016年「団地」
- 2020年「一度も撃ってません」
- 2022年「松田優作・メモリアル・ライブ」
などの映画に出演しており、70歳を回った現在も現役で活動を続けています。
「一度も撃ってません」より。石橋蓮司さんと大楠道代さん。
大楠道代の出演映画
それでは、最後に、大楠道代さんの主な出演映画をご紹介しましょう。
- 1964年「風と樹と空と」
- 1966年「氷点」
- 1967年「痴人の愛」
- 1968年「秘録おんな牢」
- 1969年「笹笛お紋」
- 1970年「おんな極悪帖」
- 1971年「新女賭博師 壷ぐれ肌」
- 1972年「新兵隊やくざ 火線」
- 1973年「子連れ狼 冥府魔道」
- 1974年「金環蝕」
- 1980年「ツィゴイネルワイゼン」
- 1981年「陽炎座」
- 1984年「ロケーション」
- 1987年「BU・SU」
- 1990年「鉄拳」
- 1991年「夢二」
- 1998年「愚か者 傷だらけの天使」
- 2000年「顔」
- 2003年「座頭市」
- 2005年「春の雪」
- 2008年「ジャージの二人」
- 2010年「人間失格」
- 2011年「大鹿村騒動記」
- 2012年「I’M FLASH!」
- 2016年「団地」
- 2020年「一度も撃ってません」
ほか、数多くの作品に出演しています。
「大楠道代と新井浩文の関係は?軽井沢で芸能界復帰をバックアップ?」に続く
1976年、結婚により、一時、芸能活動を休止するも、1980年の「ツィゴイネルワイゼン」で華麗に女優復帰すると、以後40年以上にわたって演技派女優として第一線で活躍し続け、 「映画に出演すれば賞に結びつく」と評されるほど …