デビュー当初、山本富士子さんの後を継ぐ美人女優として、大映に会社をあげて売り出されていた、大楠道代(おおくす みちよ)さんですが、ちょうどその頃、若山富三郎さんと不倫交際の末、婚約もしていたといいます。

今回は、大楠道代さんと若山富三郎さんの、出会いから破局までをご紹介します。

大楠道代

「大楠道代と新井浩文の関係は?軽井沢で芸能界復帰をバックアップ?」からの続き

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大楠道代と若山富三郎の出会いは?

大楠道代さんは、1964年、18歳の時、日活映画「風と樹と空と」で女優デビューするも、その後、正式な契約を結ぶ段階になった際には、女優になる気がなかったことから、地元・大阪に帰っており、

翌1965年、今度は、若山富三郎さんからオファーがあるも、この時も、大楠道代さんは、このオファーを断り、

その後、今度は、若山富三郎さんの弟・勝新太郎さんからもオファーがあり、直接断ろうと撮影所に出向くと、

勝新太郎さんに上手に口説かれ、ついに、契約を交わしたそうですが、

もしかすると、この時、大楠道代さんは、若山富三郎さんとも会っていたのかもしれません。

大楠道代は若山富三郎と不倫関係だった

そして、大楠道代さんは、女優としてまだ駆け出しだった同年(1965年)、若山富三郎さんに口説かれ、若山富三郎さんとの交際を開始したそうですが、

この時、若山富三郎さんは、妻子ある身だったことから、大楠道代さんとの関係が原因で離婚。

(若山富三郎さんは2度目の離婚)

また、若山富三郎さんは、大映の撮影所では、素行が悪く、度重なる暴力沙汰など問題を起こしてばかりで、日常的にトラブルを起こしていたそうで、この離婚も合わさり、あきれた大映から、1年間、干されてしまったといいます。

(若山富三郎さんは、芝居が上手で、殺陣をやらせれば日本一の腕前だったことから、弟の勝新太郎さんや市川雷蔵さんとの立ち回りが評判となっていたそうですが、主演作品をあてがってもらえず、これに対する不満を募らせていたそうで、カッとなるとすぐに暴力を振るっていたのだそうです)

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大楠道代は若山富三郎と婚約していた

そんな中、若山富三郎さんは、1966年には、大楠道代さんが出演した映画「処女が見た」で復帰しているのですが、さすがに、周囲のひんしゅくを買ったそうで、ついには、同年、「大映」を退社しています。

一方、大楠道代さんはというと、周囲から何を言われてもあっけらかんとしていたそうで、結局、若山富三郎さんとは7年に渡って同棲し、その間、婚約していたこともあったといいます。

大楠道代

ちなみに、大楠道代さんは、若山富三郎さんと別れた後も、何事もなかったような顔で仕事をしていたそうで、

元・大映宣伝マンの中島賢氏は、そんな大楠道代さんについて、

なんてタフな女性だろうと思った。しかも根っからのお人好しである。結局人の好い彼女は手っ取り早く観客を呼べるエログロ路線の安易な作品にも厭わず出演してくれた。

彼女本来の姿ではなかっただけに至極残念である。

と、語っています。

「大楠道代の夫はメンズビギの創設者・大楠祐二!結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く

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