小学1年生の時、西友のCM「西友大市」で子役デビューするも、ぱっとしなかった、宮野真守(みやの まもる)さんですが、23歳の時、アニメ「DEATH NOTE」の主人公・夜神月の声優でたちまちブレイク。そんな宮野さんの、デビューから声優ブレイクまでの経緯について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

宮野さんは、1983年6月8日生まれ、
埼玉県大宮市(現・さいたま市)のご出身、

身長182センチ、
体重72キロ、

靴のサイズは26.5センチ、

血液型はB型、

学歴は、
和光国際高校卒業、

特技は、
志村けんさん、柳沢慎吾さん、郷ひろみさん、ビートたけしさんのモノマネ、

趣味は、ないと語っておられますが、ドラゴンボール、ワンピース、ドラクエ、モンハン、お笑いがお好きとのことで、特にモンハンはお気に入りで、買ってから仕事が落ち着くまで我慢しようとするも、我慢できずに開けてしまうくらい好きとのことです♪

ちなみに、「宮野真守」は本名で、愛称は「マモ」「マモちゃん」
お兄さんは、俳優の宮野翔太さんです。


高校の卒業アルバムより。

子役でデビューするも・・・

宮野さんは、幼い頃、テレビっ子で、バラエティ番組、特に志村けんさんのお笑い番組が好きな、人を笑わせることが好きな子どもだったそうで、7歳(小学校1年生)の時、お兄さんの宮野翔太さんの影響で、「劇団ひまわり」に入団すると、西友のCM「西友大市」でデビュー。


7歳の時の宮野さん。

1993年、10歳の時には、「水の旅人」で映画デビューも果たすほか、「劇団ひまわり」の公演「スクルージ」でのピーター・クラチット役では高く評価されます。


1992年「特捜エクシードラフト」より。子役時代の宮野さん。

そして、1995年、12歳の時には、「3年B組金八先生」で、テレビドラマデビューも果たされるのですが、レッスンが嫌いだったため、小学生の時は、あまり積極的にレッスンに通うことはなく、サッカーに打ち込んでいたそうです。(サッカーは高校まで続けられたそうです)

海外ドラマ「私はケイトリン」の吹き替えで声優デビュー

ただ、そんな宮野さんも、成長するにしたがい、俳優としてのキャリアに思い悩むようになり、高校生の時には、将来の不安にさいなまれるようになったことから、それまでさぼっていたダンスや歌のレッスンを受け始めるようになるのですが、思うような成果はあげることができず。

そうして、レッスンに明け暮れる高校3年生の時、当時のマネージャーに紹介されて、海外ドラマ「私はケイトリン」の声優(吹き替え)のオーディションに参加すると、見事合格。宮野さんは「私はケイトリン」で声優デビューされたのでした。

ちなみに、最初は、アテレコ現場でマイクを前に演技をするのが初めてということで、戸惑われたそうですが、

当然のごとくヘッタクソなんですけど、ディレクターさんが新人らしいナチュラルなところを拾ってくれて……。すごくラッキーでした。

(ディレクターに)1年間声優としての技術を現場で叩き込まれ、いい経験ができたことは、とても幸せだった。

と、その後1年間にわたり「私はケイトリン」にレギュラー出演されると、以降、数々の作品のオーディションにも合格し、

自分が声で求めてもらえるなんて知らなかったけど、もしかしたら少しは魅力があるのかもしれない。

と、考えるようになったのだそうです。

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「DEATH NOTE」の主人公・夜神月(やがみ らいと)役でブレイク

そして、2006年には、名前を書いた人間を死なせることができる死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を抹殺し、理想の世界を作り上げようとする夜神月(やがみ らいと)と、世界一の名探偵Lたちによる頭脳戦を描いたアニメ「DEATH NOTE」の、主人公の夜神月役をオーディションで勝ち取ると、

特に、最終回での狂気の沙汰とも言える演技は、

最高峰

至高

などと、絶賛され、たちまちブレイク。


「DEATH NOTE」最終回。

「DEATH NOTE」の総作画監督も、

最終回は諸事情によりアフレコが先にあって、その声に合わせての作画作業だったのですが、宮野さんの演技が原作を読んだ時の印象よりかなり“逝っちゃって”てすごかった。

それに合わせて作業しているうちに、こちら側もどんどんすごい作画になった。

と、宮野さんの演技を絶賛されるほか、

宮野さんは、「DEATH NOTE」で、「第2回声優アワード主演男優賞」「東京国際アニメフェア2008」「第7回東京アニメアワード個人賞(声優部門)」を受賞するという快挙を遂げられたのでした。

ちなみに、宮野さんは、

どうしても夜神月役を演じたい

との思いから、オーディションに参加されつつも、その一方で、合格することが難しいということもよく分かっていたそうですが、

絶対に受かるんだ

という、強い気持ちでオーディションに臨まれていたそうで、

「DEATH NOTE」を演じられたことがきっかけとなり、

出てくる声に自信が持てるようになった

と、語っておられました。

「宮野真守が久遠で歌手デビュー!日本武道館ライブも!」に続く

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