1996年、シングル「アジアの純真」でデビューすると、たちまち爆発的な人気を博した、女性デュオ「PUFFY」。デニムにTシャツ姿で歌い、「脱力系」と言われたお二人は、当時、全盛だったダンスミュージックとは、一線を画す存在として人気を博し、その後、アジア、北米へと活動の場を広げられています。


そんな「PUFFY」の結成から現在までを、
調べてみました!

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二人が出会うまで(大貫亜美)

1991年、大貫亜美さん(東京出身)は、
高校在学中に結成・活動していたバンドのデモテープを、
ソニー主催のオーディションに送り、
見事合格を果たされるのですが、

他のメンバーが乗り気ではなく、
バンドは解散。

その後は、客室乗務員を目指して、
外語専門学校に進学されるのですが、

大貫さんの声質に魅力を感じた、
ソニーのスタッフに説得され、

外語専門学校に通う傍ら、歌唱指導を受けられるなど、
ソロ歌手としてデビューする準備を進められたのでした。

二人が出会うまで(吉村由美)

一方、吉村由美さん(大阪出身)は、
同じ頃、高校を中退し、アルバイトを、
転々とする日々を送っておられたのですが、

知人に勧められ、ソニー主催の、
「ちょっとそこまでオーディション」に、
応募されると、意外にも準グランプリを獲得。

準グランプリ獲得時の吉村さん(18)

そして、どのような芸能活動を行いたいか、
ソニーに聞かれた吉村さんは、

なんとなく「歌手」と答えられ、
「SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)」
のアーティストとして上京。
ヴォイストレーニングを受けられたのでした。

「PUFFY」結成

そして、1994年、大貫さんと吉村さんは、
事務所「SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)」で、
初めて出会われるのですが、

お互い内気な性格のため、当初は、
なかなか打ち解けることができず、

吉村さんは年上の大貫さんに、
ずっと敬語で話されていたのだとか。

しかし、お二人とも、思いもかけない、
芸能界入りという共通点があったことから、
徐々に友情を深められ、

吉村さんが、大貫さんの実家に出入りするほど、
仲良くなっていくと、

お二人は、当初、ソロ歌手として、
デビューする予定だったのですが、

大貫さんが、ソロデビューに不安を抱えており、
吉村さんとのデュオを事務所に提案。

すると、すでにソロ音源が録音されていたにも関わらず、
その提案はすんなり受け入れられたそうで、

しかも、同じ事務所に所属し、
大貫さんのアルバム製作に携わっていた奥田民生さんが、
プロデュース業に関心を示したことから、
お二人は、奥田さんに託されることとなったのでした。

(ちなみに、「PUFFY」とは、奥田さんが親交のあった、
 アメリカのロックバンド、ジェリーフィッシュのドラマー、
 アンディ・スターマーさんによって命名されたそうです♪)

デビューで一躍人気歌手に

こうして、「PUFFY」は、1996年5月、
1stシングル「アジアの純真」でCDデビューすると、

いきなり、ミリオンセラーとなる、
大ヒットを記録。

ナンセンスな歌詞に、ゆるい曲調、
そして、ジーンズにTシャツ姿という、
ラフな格好で歌うお二人は、

「自然体」「脱力系」と言われ、

当時、全盛だった、小室ファミリーや、
沖縄アクターズスクール出身のアーティストなどの、
ダンス系音楽と一線を画す存在として、
絶大な支持を得たのでした。

そして、その後も、

1996年10月「これが私の生きる道」
1997年3月「サーキットの娘」
     4月「渚にまつわるエトセトラ」
    12月「MOTHER/ネホリーナハホリーナ」
1998年3月「愛のしるし」

などのシングルをリリースすると、
立て続けに大ヒットを記録!





また、音楽だけではなく、
お二人のファッションやユニークな個性が、
各方面から引っ張りだことなり、

1997年には、冠番組、
「パパパパパフィー」を持つまでになったのでした。

「パパパパパフィー」より。

海外進出

さらに、1997年からは、
アジアにも進出すると、

1998年、1999年には、
香港、台湾ツアーが大盛況。

ツアーグッズは飛ぶように売れ、
お二人がステージで着用したTシャツは、
偽物が出回るほど爆発的な人気を博します。

また、2000年には、思い出作りの一環として、
アメリカ、テキサス州で行われたロック・フェスティバル、
「サウス・バイ・サウスウエスト」に気軽に出演されるのですが、

意外にも、現地のアメリカ人受けが良かったことから、
2002年「Puffy AmiYumi」名義で初の北米ツアーを行われ、
「SPIKE」で全米インディーズデビューされたのでした。

「SPIKE」

アニメで全米デビューへ

すると、翌年の2003年には、
アメリカのカートゥーン・ネットワークのアニメ、
「Teen Titans」の主題歌に起用され、

かねてより、同局のプロデューサーが、
お二人をモデルにしたアニメ制作を、
打診されていたことから、

2004年11月には、お二人をモデルにしたTVアニメ、
「Hi Hi Puffy AmiYumi」の全米放送が開始。

「Hi Hi Puffy AmiYumi」

それに伴い、アニメの主題歌を含む、
アルバム「Hi Hi Puffy AmiYumi」で、
全米メジャーデビューも果たされたのでした。

本当のところ、アメリカでの人気は・・・

ところで、「PUFFY」のアメリカでの人気を調べてみると、
正直なところ、一部のファンの心はつかんだものの、
全体的に見ると、一般ウケはしなかったようで、

ニューヨークでのライブでは、
観客のほとんどが日本人だったとか。

アメリカでは、女性シンガーは、
セクシーさと歌唱力が必要とされるため、

30歳近い女性が、可愛い振り付けで踊っている姿は、
アメリカ人には理解できなかったのかもしれませんね。

ただ、アニメから入ったということもあり、
小さな子どもや高校生くらいの世代には、
人気があったようなので、
子どものいる家庭では知名度があったようです。

また、アニメの中で声を当てたお二人は、
英語ではなく、日本語をしゃべっていたということなので、

もともと、日本人や日系人向けだったのでは、
とも言われており、本気でアメリカに進出・・・
というよりは、企画的なものだったのかもしれませんね。

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現在

さて、そんな「PUFFY」は、その後も、
コンスタントにシングルをリリースし、
2016年でデビュー20周年を迎えられているのですが、

なんと、お二人は、活動休止はもちろんのこと、
大貫さんの産休以外、お休みをしたことがないのだとか。

この広い世界の中で、相性の良いお二人が出会って、
持って生まれた才能を発揮し、人気を維持されているなんて、
ほんと、素敵なことですよね。

これからも、「これが私の生きる道」と、
ずっと仲良しで続けていってほしいものです♪

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