ミッキー・カーチスさんと電撃結婚&離婚後は、外資系企業の社長等を歴任する実業家の大伴昭さんと再婚した、芳村真理(よしむら まり)さんですが、亭主関白ながら、実業家として有能な大伴さんとの暮らしは学びが多く、何よりとても楽しかったといいます。

「芳村真理の再婚後の夫は「カルティエジャパン」の社長等を歴任した大伴昭!」からの続き

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夫・大伴昭は典型的な昭和の日本男児で亭主関白だった

昭和一桁生まれの大伴さんは、典型的な昔気質の日本男児で、家では常に自分中心のマイペースだったそうで、家族で外食する時も、何が食べたいか、芳村さんや子供たちに聞いてくれたことは一度もなく、行き先はいつも、大伴さんが行きたいお店だったほか、

芳村さんの仕事に関しても、「自分の女房として恥ずかしいことはしてほしくない」との思いが強く、泊りがけのバラエティ番組のレポーターのような仕事の依頼が来た時には、

一家の主婦が、自分の仕事で一晩家を空けるなんてありえない!

と、叱られたこともあったといいます。

「夜のヒットスタジオ」のオンエアが終わると飛ぶように家に帰っていた

そのため、芳村さんは、「夜のヒットスタジオ」のオンエアが終わると(業界では夜11時前に番組が終わると、その後みんなで食事に行くのが当たり前だったそうですが)、

夫も子どももいるのだから、仕事が終わったらすぐに家に帰ってくるべきだ!

という、大伴さんの言葉に従い、毎回、飛ぶように家に帰っていたのだそうです。

(ちなみに、大伴さんはというと、赤坂のジャズバーで遊んでいたそうですが(笑))

「料理天国」の料理を家に持ち帰っていた

そんな芳村さんは、仕事で夜遅くなる時は、食事の支度ができないため、あらかじめ1週間のメニューを考え、料理はお手伝いさんに頼んでいたそうですが、

「料理天国」の司会の仕事をしていた時には、番組で作った料理をすべて持ち帰っていたそうで、(収録のある)木曜日は、大伴さんや子供たちも、普段、家では食べられないようなおいしい料理を食べることができたため、家で待っていたそうです。


「料理天国」より。(左から)龍虎さん、芳村さん、西川きよしさん。

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夫・大伴昭はしばしば自宅に大勢ゲストを招いてホームパーティーをしていた

また、芳村さんは、大伴さんの、

「自分の女房」であることを一番に考えてほしい

との思いに応えるべく、家庭での仕事もおろそかにしなかったそうで、

当時、大伴さんは、外資系企業の社長だったことから、自宅に100人以上のゲストを招いてホームパーティーをすることもしょっちゅうあったそうですが、

(30代、40代は芳村さんもテレビの仕事が大忙しだったそうですが)自分の仕事のかたわら、大伴さんの仕事上のおつきあいにも100%応じていたそうです。

ただ、芳村さんは、

そうした社交の場で、男社会のつきあいや、仕事上の駆け引きなども垣間見ることができたので、私自身が仕事をするうえでも大いに勉強になったんですよ。

と、語っているほか、

大伴さんも、芳村さんの出演している番組のプロデューサーや共演者たちと家族ぐるみのつきあいをしてくれたそうで、三浦半島の三崎港のマリーナに買ったリゾートマンションにみんなを呼んで、毎週のようにパーティーをするほか、大型ヨットを借りてクルージングをしたりと、大伴さんとの生活はとても楽しかったそうです。

「芳村真理の夫・大伴昭は「遺伝性認知症」になっていた!」に続く

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