1983年、デジタルユニット「TMネットワーク」を結成すると、1987年には、「Get Wild」で大ヒットを記録、さらには、後に音楽プロデューサーの活動に専念すると、日本中に「小室ブーム」を巻き起こした、小室哲哉(こむろ てつや)さん。今回は、そんな小室さんの天才的な幼少期のエピソードなどをご紹介します。
出身は?身長は?年齢は?学歴は?
小室さんは、1958年11月27日生まれ、
東京都府中市の出身、
身長167センチ、
体重57キロ、
血液型はO型、
学歴は、
府中市立第五小学校
⇒府中市立府中第四中学校
⇒早稲田実業高等部商業科
⇒早稲田大学社会科学部中退
だそうです。
幼少期から天才的な音楽の才能を発揮
小室さんは、3歳の時、お母さんの勧めで、東京芸術大学教授のレッスンのもと、バイオリンを始めたそうですが、すでに、この頃に音感のベースが形成されていたそうで、小学生になると、クラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作れるようになっていたそうです。
そして、小学校5年生の時には、お母さんがエレクトーンを購入したそうですが、小室さんは、お母さんよりも先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせたり、同時期、母方の親戚の叔父さんからギターコードを習っても、マスターするのが早く、叔父さんを驚かせたそうです。
また、中学生になると、音楽の時間に、「50分で16小節を譜面に書く」という、
作曲のテストがあったそうですが、
音楽の先生が、
誰かは言いませんけど、この中ですごく上手な人がいました。
と言って、小室さんが作曲した曲をピアノで演奏したそうで、
小室さんは、その時のことを振り返り、
目立ちたくない時期だったため、ものすごく嫌だった。だけど自信にはなりました。
と、語っています。
中学生の時に既に渡辺美里や「TM NETWORK」の原曲を作曲していた
そんな小室さんは、1970年、小学校6年生のとき、「大阪万博」で作曲家の冨田勲さんが、「マルチスクリーン+12チャンネルステレオ」を駆使した演奏をしているのを聴き、衝撃を受けたそうで、
1979年頃の冨田勲さん。
中学生になると、家族に内緒で、家にあった、ギター、ヴァイオリン、エレクトーンを売り、当時16万円以上したという、シンセサイザー「ローランドSH1000」を購入して夢中になり、
なんと、後に提供することとなる、渡辺美里さんの「きみに会えて」「BELIEVE」「嵐ヶ丘」「I Wish」、「TM NETWORK」の「Here, There & Everywhere (冬の神話)」などの原型約20曲を、この頃に作曲したのだそうです。
「小室哲哉の高校時代は?大学在学中にプロミュージシャンに!」に続く