幼少期は、弟がイジメられたら、代わりにイジメっ子をやり返していたほどの、女ガキ大将だったという、倍賞美津子(ばいしょう みつこ)さんですが、お姉さんの倍賞千恵子さんの影響で「松竹歌劇団(SKD)」に入団すると、お姉さん同様、すぐに頭角を現し、あっという間に演技派女優としての地位を確立されます。

「倍賞美津子の生い立ちは?幼少期は女ガキ大将だった!」からの続き

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映画デビューは姉・倍賞美津子と共演した「純情二重奏」

「松竹歌劇団(SKD)」に入団し、「東京踊り」で舞台デビューを果たすと、いきなり、「新人賞」を受賞した倍賞さんは、その後も、目鼻立ちのはっきりした顔立ちと抜群のスタイルを活かし、「浅草国際劇場」を中心に、歌とダンスで活躍されると(タップダンス、日舞、ジャズダンスと、踊ることが楽しくて仕方なかったそうです)、

1967年には、「純情二重奏」で、お姉さんの倍賞千恵子さんと異母姉妹を演じ、映画デビューも果たすのですが、

当時、映画にはまったく興味がなく、もし「松竹歌劇団(SKD)」を辞めたら、別の世界へ行きたいと思われていたのだそうです。


「純情二重奏」より。お姉さんの千恵子さんと美津子さん。

勝新太郎から直々にオファーを受け映画「人斬り」に出演

そんな中、倍賞さんが21歳のある日、楽屋に、

勝新太郎です。映画に出てほしい

と、場所と日時まで指定した一本の電話が入ったそうです。

ただ、「偽物」かもと、怖かったたため、友達に付き添ってもらい、指定されたホテルに行くと、なんと、そこには、本物の勝新太郎さんが。

すると、「うわぁ」と驚きで目を見張る倍賞さんに、勝さんは、映画「人斬り」のオファーをされたそうで、

手渡された脚本を読んでみると、すごく面白かったうえ、出演者は、勝さんのほか、三島由紀夫さん、石原裕次郎さん、仲代達矢さんと錚々(そうそう)たるメンバーだったこともあり、引き受けることに。

そして、倍賞さんは、すぐに、「松竹歌劇団(SKD)」に是非やりたいとお願いしたそうで、1969年、映画「人斬り」で、主人公・人斬り(岡田)以蔵(勝新太郎さん)の幼なじみの遊女役を演じられると、セミヌードを披露する体当たりの演技で注目され、見事、「京都市民映画祭新人賞」を受賞されたのでした。


「人斬り」より。勝新太郎さんと倍賞さん。

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今村昌平監督作品「復讐するは我にあり」で演技派女優としての地位を確立

その後、倍賞さんは、同年、「松竹」へ入社し、森崎東監督作品「喜劇・女は度胸」に出演されると、以降、森崎監督の常連女優として、バイタリティあふれる女性の役を数多く演じられ、

1979年には、今村昌平監督作品「復讐するは我にあり」で、殺人強盗犯(緒形拳さん)の妻役で出演されると、

夫が家出をした後も、めげずにたくましく生き抜いていく生命力あふれる女性を見事に演じて、「ブルーリボン賞助演女優賞」「日本アカデミー賞優秀助演女優賞」を受賞するなど、演技派女優としての地位を確立。


「復讐するは我にあり」より。三國連太郎さんと倍賞さん。

その後も、1980年には、黒澤明監督の「影武者」、1981年には、今村昌平監督の「ええじゃないか」と加藤泰監督の「炎のごとく」、1983年には、相米慎二監督の「ションベンライダー」と、巨匠の作品に次々と起用されたのでした。

ちなみに、倍賞さんは、「復讐するは我にあり」では、全裸での入浴シーンという体当たりの演技も披露されているのですが、

大変なシーンでも、役者は監督を信頼すればできる。血を吐くほど苦労して絞り出したセリフがとても大切だ、と教えて頂いた。優しくも残酷にもなれる人間の深さを教わった。

と、語っておられました。

「倍賞美津子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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