幼少期から絵の才能を発揮し、1956年、16歳の時には、「リヴァプール・カレッジ・オブ・アート」に奨学金特待生として進学した、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんですが、1957年、新入生として入学してきたジョン・レノンさんと知り合い、たちまち意気投合すると、やがて、ジョン・レノンさんに半ば強制的に楽器を買わされ、バンドに引き込まれたといいます。

「スチュアート・サトクリフは幼少期から絵画の才能を発揮していた!」からの続き

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ジョンレノンに半ば強制的にバンドに加入させられていた

スチュアートさんは、もともとそれほど音楽に興味はなく、楽器も弾けなかったそうですが、1960年、「ジョン・ムーア展」に出展した絵が、65ポンドという、学生としては高い値段で売れると、親友のジョン・レノンさんから半ば強制的にベース・ギターを購入させられ、

座っているだけでいいから

と、ジョンさんのバンド「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」(元「ザ・クオリーメン」で、後の「ビートルズ」)に引き込まれたそうで、

ジョンさんも、その時のことを、1961年、マージービート紙(7月6日)で、

4人目を探していた時だ。スチュアート・サトクリフという名の小柄な男を見つけた。それでみんながこう言ったんだ。「坊や、ベースを持っているだけでいいから」それであいつはそうした、ベースを弾けなかったからね。あいつがベースを弾けるようになるまでみんなでサポートしたんだ。

と、語っています。


「Johnny&The Moondogs」(左から)ジョン・レノンさん、スチュアートさん、ポール・マッカートニーさん、ジョージ・ハリスンさん。

イケメンによる集客目的でバンドに加入させられていた

こうして、親友であるジョンさんの頼みを断れず(ジョンさんへの憧れもあり)、「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」に加入したスチュアートさんですが、なかなかベースが上達しなかったそうで、演奏中、メンバーのポール・マッカートニーさんにプラグを抜かれたこともあったのだとか。

ただ、後に、メンバーのジョージ・ハリスンさんは、

彼は、そんなに優れたミュージシャンではなかった。我々が彼にベースをやるように勧めたので、彼は、少しばかり勉強し、練習するようになったが、そんなに上手くはならなかった。でも、そんなことはどうでも良かったんだ。イケメンだったからね

と、明かしており、

メンバーは、スチュアートさんのイケメンぶりによる集客を期待していたようです。

(実際、スチュアートさんは、観客に分からないように横を向いて演奏していたと言われています)

ジョン・レノンと共に「BEATLES」の名付け親だった

そんなスチュアートさんは、1960年1月にジョンさんのバンド「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」に加わっているのですが、同年4月には、ジョンさんと共に、メンバーのポール・マッカートニーさんとジョージ・ハリスンさんに、バンド名を「The Beetles」にしてはどうかと提案していたといいます。

実は、「The Beetles」は、バディ・ホリーさんのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」の「クリケッツ」が、虫の「こおろぎ」とスポーツの「クリケット」の2つの意味があることにあやかったそうで、「カブトムシ」という意味に加え、映画「The Wild One(乱暴者)」でリー・マーヴィンがバイクに乗る女の子達のことを「beetles」と呼んでいたところから思いついたのだそうです。

(スペルは後に「The Beatles」に変更されています)

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「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」などに改名させられていた

とはいえ、その後、クラブ出演を依頼してきたブライアン・キャスさんが「BEATLES」を使うことに難色を示し、出演の条件として、「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」に改名するように言ってきたことから、当初は、妥協し、「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」を名乗ったそうで、

やがて、「ロング・ジョン」の部分が省かれて、「The Silver Beetles(シルヴァー・ビートルズ)」と名乗るようになり、1960年8月頃、ようやく、「The Beatles」を名乗るようになっています。

(1960年8月の西ドイツ・ハンブルクツアーで出演したライブ「カイザー・ケラー」の広告に「The Beatles」と記載されています)

「スチュアート・サトクリフはビートルズで独ハンブルクに巡業していた!」に続く

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