2000年、3人組ユニット「Changin’ My Life」としてデビューすると、2002年、作曲を手がけた3枚目のシングル「Myself」がヒットし、

2003年に同ユニット脱退後は、作曲家、音楽プロデューサーとして活動するかたわら、2012年頃からは、焼肉に詳しい「肉マイスター」としても活動している、田辺晋太郎(たなべ しんたろう)さん。

今回は、田辺晋太郎さんの、若い頃(俳優デビュー~「Changin’ My Life」)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

田辺晋太郎

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田辺晋太郎のプロフィール

田辺晋太郎さんは、1978年11月5日生まれ、
東京都世田谷区の出身、

血液型はA型、

学歴は、
成城大学文芸学部文化史学科卒業、

特技は、アイスホッケー、

だそうです。

父親は田辺靖雄、母親は九重佑三子、従兄弟は小山田圭吾

ちなみに、「田辺晋太郎」は本名で、

お父さんは、歌手の田辺靖雄さん、
お母さんは、歌手の九重佑三子さん、

ミュージシャンの小山田圭吾さんは、いとこ(父親の姉の息子)という、音楽一族です。

田辺晋太郎の両親

田辺晋太郎は20歳の時に深夜ドラマ「サイバー美少女テロメア」の天童シュウ役で俳優デビュー

田辺晋太郎さんは、お父さんの田辺靖雄さんとお母さんの九重佑三子さんのもと誕生すると(1人息子)、学生時代から、どうやったら音楽でデビューできるかを、ずっと考えていたそうですが、

好きな歌手が、徳永英明さんと「TM NETWORK(特に小室哲哉さん)」という、まったく相反する音楽だったことから、誰ともバンドを組めなかったそうです。

そこで、考えた末、

自分一人でやるしかない

と、なったそうで、

まず、役者になって、売れたら、音楽ができるのではないかと思い、カメラマンの山岸伸さんの推薦により、女性タレントが多い芸能事務所「イエローキャブ」に初の男性タレントとして入ると、

大学在学中の1998年には、深夜ドラマ「サイバー美少女テロメア」の天童シュウ役で俳優デビューしたのでした。

田辺晋太郎
(左から)藤原竜也さん、三輪ひとみさん、つぐみさん、嘉門洋子さん、田辺晋太郎さん。

田辺晋太郎は事務所「イエローキャブ」を退所していた

その後、田辺晋太郎さんは、連続ドラマのレギュラーを2本持つなど、順調に俳優業を続けていたそうですが、

田辺晋太郎さんの目標は、あくまで、音楽をやることだったため、俳優業に身が入らず、セリフを覚えないまま現場へ行き、スタッフに怒られたこともあったそうで、

そんな自分と周囲の俳優仲間との間にギャップを感じ、ついに「イエローキャブ」を辞めたのだそうです。

田辺晋太郎は21歳の時に「Changin’ My Life」としてシングル「Myself」がヒット

その後、田辺晋太郎さんは、小室哲哉さんのように、自分で作曲し、女性をヴォーカルに立たせるスタイルで、音楽活動を模索していたそうですが、

そんな中、東芝EMIの音楽プロデューサー・三宅彰さんに、「Myself」(後の3rdシングル)と「ETERNAL SNOW」(後の4thシングル)の2曲のデモテープを送っていたmycoさんと知り合うと、

2000年7月には、mycoさんの知人から紹介された辺見鑑孝さん(key)をリーダーにして、mycoさん(vo)と3人で、ユニット「Changin’ My Life」を結成したそうで、

「Changin’ My Life」
(左から)辺見鑑孝さん、mycoさん、田辺晋太郎さん。

翌年の2001年5月には、ファーストシングル「Luv.Remix」でデビューすると、2002年には、3枚目のシングル「Myself」が、アニメ「満月をさがして」のエンディングテーマ曲となったことや、ボーカルのmycoさんが、同アニメの主人公の声役に抜擢されたことで、5万枚のヒットとなっています。

「Changin’ My Life」
「Changin’ My Life」

田辺晋太郎は34歳の時に渡辺麻友への提供曲「ヒカルものたち」がオリコン週間ランキング1位を獲得

ただ、その後、田辺晋太郎さんは、作曲家として活動するため、翌年の2003年には、「Changin’ My Life」を脱退すると、

以降、作曲家・音楽プロデューサーとして活動し、「AKB48」の渡辺麻友さん、俳優の城田優さん、瀬戸康史さん、海外アーティストでは、パク・ヨンハさん、飛輪海(フェイルンハイ)さん、ヴァネス・ウーさんなどに楽曲を提供すると、

2012年には、作曲を手掛けた、渡辺麻友さんの3枚目のソロシングル「ヒカルものたち」が、自身初のオリコン週間ランキング1位を記録しています。

「ヒカルものたち」
「ヒカルものたち」

また、田辺晋太郎さんは、そのほかにも、埼玉県の情報番組「ひるたま」「ごごたま」のオープニングとエンディング曲をプロデュースするなど、幅広く活動しています。

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田辺晋太郎は35歳頃から「焼肉マイスター」としても活動

また、田辺晋太郎さんは、大の焼肉好きで、肉の生産背景、調理法ほか、食肉に関する知識が豊富で、2013年の著書「焼肉の教科書」が、累計25万部を超えるベストセラーになっているのですが、

それ以降、音楽プロデューサーとして活動するかたわら、「肉マイスター」として、テレビ・ラジオに出演するほか、講演活動も行い、

2014年には、一般社団法人「食のコンシェルジュ協会」を立ち上げて初代代表理事に就任すると、「焼肉コンシェルジュ検定」を実施するなど、肉に関する様々な分野で活動しています。

田辺晋太郎

「田辺晋太郎の妻は本村由紀子!子供は?両親は?従兄弟・小山田圭吾で炎上!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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