近年は妻の九重佑三子さんと共に、夫婦でのディナーショーやテレビ出演をメインに活動するほか、全国チャリティコンサートなどの福祉活動も精力的に行っている、田辺靖雄(たなべ やすお)さんですが、

実は、10代の頃には、大原麗子さんと交際していたといいます。

今回は、田辺靖雄さんと大原麗子さんの、馴れ初め、破局理由、その後についてご紹介します。

田辺靖雄

「田辺靖雄の病気は難病も九重佑三子のスパルタ式リハビリで回復していた!」からの続き

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田辺靖雄と大原麗子の馴れ初めは?

田辺靖雄さんは、1962年、16歳の時、映画「高校生と女教師 非情の青春」に出演し、ジャズ喫茶で歌うシーンがあったそうですが、

その撮影の際、お客さん役のエキストラの中に、大原麗子さん(15歳)がおり、ずっとこちらの方を見ていたそうで、

(やけに目が合い、ウィンクしてきたそうです)

田辺靖雄さんが、

かわいい子だな

と、思っていると、

その後、河原での撮影があり、田辺靖雄さんが休憩をしていると、大原麗子さんが、友達と一緒に田辺靖雄さんの方に近づいてきたそうで、

田辺靖雄さんも、あいさつをし、

さっきもいたね

といった感じで声をかけたそうです。

すると、話をするうちに、大原麗子さんが芸能界の仕事をしたがっていることを知ったそうで、

田辺靖雄さんは、

じゃあ、(六本木)野獣会に入りなよ

と、大原麗子さんを秋本まさみさんのところに連れて行ったのだそうです。

(秋本まさみさんは、「六本木野獣会」を取り仕切っていた中心人物でした)

こうして、大原麗子さんは、田辺靖雄さんも所属する「六本木野獣会」のメンバーとなったそうですが、この出会いがきっかけとなり、田辺靖雄さんと大原麗子さんは、交際をスタートさせたのだそうです。

田辺靖雄と大原麗子の破局理由は?

それから、しばらくして、田辺靖雄さんは、渡辺プロダクションに大原麗子さんを紹介したそうですが・・・

断られたうえ、渡辺プロダクションから田辺靖雄さんの親に、交際をやめるよう電話があったといいます。

というのも、田辺靖雄さんが、当時、売り出し中の新人だった一方で、大原麗子さんはまだ一般人だったことから、事務所としては、”虫”がつくと自社タレントの商品価値が下がると考えたからでした。

こうして、田辺靖雄さんは、事務所の反対により、大原麗子さんと破局してしまったのだそうです。

田辺靖雄は大原麗子から電話で女優になったことを聞いていた

その後、大原麗子さんは、他の事務所を経て東映に入社したそうですが、東映入りが決まった時には、突然、大原麗子さんから電話がかかってきたそうで、

やっちん(田辺靖雄さんの愛称)、私、東映に入るの。女優よ。女優さんだからね~

と、とてもうれしそうだったといいます。

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田辺靖雄は大原麗子から死の直前に電話をもらっていた

ただ、その後も、田辺靖雄さんと大原麗子さんが会ったりすることはなかったそうですが、大原麗子さんからいきなり電話がかかってくることは何度もあったそうで、

1973年頃、田辺靖雄さんがお母さんを亡くした時にも、大原麗子さんは、忙しい合間を縫って電話をくれたそうです。

そして、2009年にも、久しぶりに大原麗子さんから電話があり、話をしたそうですが、

大原麗子さんは、話の最後の方で、

私が女優になったのは、やっちんのおかげね。あの時、やっちんに会わなかったら、女優になってなかったね

と、言ったそうで、

それまで、そのようなことは一度も言われたことがなかったことから、田辺靖雄さんは驚いたそうですが、それから、ほどなくして、大原麗子さんは他界されたそうで(2009年8月3日)、

田辺靖雄さんは、大原麗子さんが電話をかけてきたのは、最後に、感謝の気持ちを伝えたかったのだろうと思っているそうです。

「田辺靖雄の妻・九重佑三子との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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