1961年、16歳の時、NHK「夢であいましょう」にレギュラー出演して歌手活動を開始すると、梓みちよさんとのデュエット曲「ヘイ・ポーラ」やソロシングル「二人の星を探そうよ」が大ヒットして、人気歌手となった、田辺靖雄(たなべ やすお)さん。
そんな田辺靖雄さんは、その後、九重佑三子さんと結婚しているのですが、以降は、夫婦でのディナーショーやテレビ・ラジオ出演ほか、全国でチャリティーコンサートなども行っています。
今回は、田辺靖雄さんの若い頃(歌手デビュー)から現在までのシングルほか経歴を時系列でご紹介します。

「田辺靖雄の家系図は?生い立ちは?幼少期は子役!高1で六本木野獣会!」からの続き
田辺靖雄は16歳の時に「夢であいましょう」にレギュラー出演し歌手活動を開始していた
田辺靖雄さんは、1961年、16歳の時、渡辺プロダクション創業者の渡邊美佐さんにスカウトされて芸能界入りすると、
早速、同年、NHKのバラエティ番組「夢であいましょう」にレギュラー出演し、同番組内のコーナー「今月のうた」で歌唱するなど、歌手活動を開始しています。

「夢であいましょう」より。(左から)坂本九さん、黒柳徹子さん、渥美清さん、田辺靖雄さん。
田辺靖雄は18歳の時に梓みちよとのデュエット曲「ヘイ・ポーラ」が大ヒット
すると、1963年5月に発売した梓みちよさんとのデュエット曲「ヘイ・ポーラ」(原曲は英語の「ポールとポーラ」のカバー曲)が大ヒットを記録し、この年の「第14回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのでした。

「ヘイ・ポーラ」
田辺靖雄は「ヘイ・ポーラ」以降は梓みちよとのデュエット曲がヒットしなかった
そんな田辺靖雄は、この勢いで、その後も、
- 1963年9月「けんかでデイト」

「けんかでデイト」 - 1963年11月「いつもの小道で」
- 1964年3月「素敵な新学期」
- 1964年4月「ひとりだけの歌」

ひとりだけの歌 - 1964年4月「おかあさん」
- 1964年「アウフ・ヴィダーゼーン」
- 1964年「きよしこの夜」
と、梓みちよさんとのデュエット曲を次々とリリースしたのですが・・・
売上はパッとしなかったのでした。
田辺靖雄は19歳の時にソロシングル「二人の星を探そうよ」が大ヒット
しかし、田辺靖雄さんは、1964年5月、ソロ名義で発売した初のシングル「二人の星を探そうよ」が大ヒット。
これで、一躍、人気歌手の仲間入りを果たしたのでした。

「二人の星を探そうよ」
田辺靖雄は26歳の時にテレビドラマ「東京・浅草・雷門」の主役に抜擢されていた
その後、田辺靖雄さんは、1971年頃からは、歌手活動のかたわら、本格的にテレビドラマにも出演するようになると、
同年には、「東京・浅草・雷門」の主役に抜擢されるほか、以降、数多くのテレビドラマに出演しています。
田辺靖雄は34歳の時にはカバーシングル「よせばいいのに」が有線放送により大ヒット
また、田辺靖雄さんは、1979年6月21日には、「三浦弘とハニーシックス」のカバー・シングル「よせばいいのに」をリリースすると、有線放送から大ヒットとなり、「第12回全日本有線放送大賞特別賞」を受賞しています。

「よせばいいのに」
田辺靖雄は34歳の時にはシングル「おれでよければ」がカラオケブームでヒット
さらに、1980年2月25日には、「おれでよければ」をリリースすると、カラオケブームに乗ってヒットとなっています。

「おれでよければ」
田辺靖雄は42歳の時に妻・九重佑三子とディナーショー「夢で会いましょう」を開催していた
そんな田辺靖雄さんは、1987年、42歳の時には、妻の九重佑三子さんと夫婦によるディナーショー「夢で会いましょう」を開くと、
同年には「田辺靖雄&九重佑三子ハートフルコンサート」を開き、翌年以降、恒例化するほか、数々のコンサートで、九重佑三子さんと夫婦共演しています。
田辺靖雄は48歳の時に「田辺靖雄ハートフルチャリティーコンサート」を開始していた
そして、1993年からは、収益金の一部から車椅子を寄贈する「田辺靖雄ハートフルチャリティーコンサート」を開始しているのですが、
2001年には、寄贈した車椅子が2000台を超えたといいます。
田辺靖雄は65歳の時には一般社団法人「日本歌手協会」八代目会長に就任していた
また、田辺靖雄さんは、2010年7月、65歳の時には、一般社団法人「日本歌手協会」八代目会長に就任しているのですが、
日本歌手協会会長として、
- 2011年には、東日本大震災の支援チャリティーコンサート
- 2016年には、熊本・大分地震被災地支援チャリティーコンサート
- 2017年には、九州北部豪雨・秋田県豪雨被災地支援チャリティーコンサート
などを開催しています。
田辺靖雄のシングル(ソロ)
それでは、最後に、田辺靖雄さんのシングル(ソロ)をご紹介しましょう。
- 1964年「二人の星をさがそうよ」

「二人の星を探そうよ」 - 1964年「空港ひとりぼっち」

「空港ひとりぼっち」 - 1965年「ジャックナイフの月」
- 1965年「お嫁さん」
- 1965年「もちろん好きさ」
- 1966年「君のことを」
- 1966年「ゴーゴー・レンタカー」
- 1966年「ブルー・ナイト・イン横浜」
- 1966年「真夜中のサファイヤ」

真夜中のサファイア - 1967年「あこがれの恋人」
- 1967年「有里子」
- 1968年「ララバイ東京」
- 1969年「必ず愛してやるからな」
- 1969年「最後の電話」
- 1977年「十六の夏」
- 1979年「よせばいいのに」

「よせばいいのに」 - 1980年「おれでよければ」

「おれでよければ」 - 1980年「東京→大阪」
- 1981年「東京で一番淋しい女」
- 1981年「おまえに逢いたい」
- 1982年「ラブ・ユー・ナイト」
- 1983年「とにかくあした」
- 1987年「男と女のラブゲーム」

男と女のラブゲーム - 1988年「夜明け」
- 1991年「BeautifulGirl」
- 1997年「FOREVER GOLD」
- 1998年「帰ってくるのは?ここだぞ?」
- 2005年「いっしょ」
- 2011年「二人の星をさがそうよ」
- 2014年「明日がまだある」
と、数多くのシングルをリリースしています。
「田辺靖雄の病気は難病も九重佑三子のスパルタ式リハビリで回復していた!」に続く
![]()
1986年、育児に専念していた妻の九重佑三子さんが芸能界に復帰すると、以降、夫婦2人での活動を始めるも、2007年には、突然、足が動かなくなり(歩行困難)、病院を何件も回るも原因不明で、医師からは「一生車椅子」と宣告され …











