学費未納で早稲田大学を除籍処分となってしまった後も、「モダン・ジャズ研究会」の活動は続けていたタモリさんですが、おばあさんが他界したことで無理やり地元福岡に呼び戻されると、その後は福岡で職を転々とされていたといいます。

「タモリは早稲田大学時代おとなしく真面目で静かで地味だった!」からの続き

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「モダン・ジャズ研究会」のマネージャーは破格の収入だった

学費未納のため、早稲田大学を除籍処分となってしまうも、その後も、「モダン・ジャズ研究会」のマネージャーを続けられていたというタモリさんですが、その収入は破格だったそうで、

当時、大卒の初任給が2万円だった中、特に、演奏旅行が組まれる夏は、1ヶ月に30~40万円も収入があったそうです。

保険会社「朝日生命」の優秀な営業マンだった

ただ、ほどなくして、おばあさんが亡くなり、親族に、おじいさんの面倒を見るという名目で無理やり地元福岡に呼び戻されると、半ば強制的に保険会社「朝日生命」に入れられ、営業として勤務することになったそうで、

タモリさんご本人は、この営業時代について、

ベラベラしゃべるから信用されずダメだった

と、おっしゃっていましたが、

当時、上司だった方の話では、タモリさんは、保険の外交員として、よく「優秀者招待旅行コンクール」に入賞していたとのことなので、営業成績はかなり優秀だったようです。

また、社員旅行のバスでは、ニセ中国語で進行役を務められていたそうです(笑)

ボーリング場の支配人だった

そんな保険会社も4年ほどで退職すると、早稲田大学の先輩である、高山博光さん(現・福岡市議会議員)が経営する旅行会社「日田観光会館」に転職し、傘下のボーリング場の支配人に配属。

ある時、ピンを動かす機械から油漏れが起きて、みるみるうちに油が場内に溜まり、雑巾やトイレットペーパーでは間に合わない状態になったそうですが、機転をきかせ、女性アルバイトに生理用ナプキンを大量に買いに行かせ、なんとかその場をしのいだこともあったそうです。

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職を転々としていた

また、ボーリングブームが去ると、今度は、フルーツパーラー「サンフレッシュ」の初代支配人になり、

ここでも、タモリさんは、「ミックスジュース」を「ミィジュー」、「ブルーマウンテン」を「ブルマー」などと、お客さんの注文を、逆さまに言ったり、短縮して言っていたそうで、

おかしなマスターがいる

と、評判になり、注目を集められたそうです。

そして、その後も、タモリさんは、喫茶店のマスター、ガードマン、絵画のヌードモデル、蛇使い(笑)など、様々な職を転々とされたのだそうです。

(そんな中でも、タモリさんは、仕事が終わると、ジャズ喫茶「COMBO」に通われていたそうで、音楽への情熱は持ち続けていたようです)

「タモリは見知らぬ他人の部屋のドンチャン騒ぎに乱入していた!」に続く

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