唯一無二の音色とジャンルを超えた音楽性で、日本にボサノヴァ・ブームを巻き起こすと、「カリフォルニア・シャワー」等のヒットで世界進出も達成し、以降、常にシーンの最前線で活躍を続けている、渡辺貞夫(わたなべ さだお)さん。

そんな渡辺貞夫さんは、薩摩琵琶奏者のお父さんのもと、音楽に恵まれた環境で育ったそうで、中学進学後は、進駐軍から流れる米国の音楽に憧れると、15~16歳の時には、アメリカ映画「ブルースの誕生」に魅せられ、クラリネットを始めたそうで、持ち方さえ分からない状態からのスタートで、一心不乱に練習を重ねたといいます。

今回は、渡辺貞夫さんの、幼少期(生い立ち)からクラリネットを始めるまでをご紹介します。

渡辺貞夫

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渡辺貞夫のプロフィール

渡辺貞夫さんは、1933年2月1日生まれ、
栃木県宇都宮市の出身、

学歴は、
宇都宮市立中央国民学校(現在の宇都宮市立中央小学校)
⇒栃木県立宇都宮工業高等学校卒業
⇒アメリカボストン市バークリー音楽院(現・バークリー音楽大学)留学⇒中退
(1995年、名誉博士号を与えられています)

ちなみに、「渡辺貞夫」は本名で、愛称は「ナベサダ」、

また、妹はジャズシンガーのチコ本田さん、弟はジャズドラマーの渡辺文男さん、という音楽一家です。

渡辺貞夫は幼い頃から音楽に恵まれた環境で育っていた

渡辺貞夫さんは、家電やモーターを修理する「渡辺電機工業所」を営んでいたお父さんのもと誕生したそうですが、

お父さんは、もともと、薩摩琵琶奏者だったことから、お正月には、お父さんが都都逸(どどいつ)を演奏していたほか、蓄音機を持っていた叔母さんの家で歌謡曲(流行歌)を聴いたり、近所の人がギターやヴァイオリンを弾くのを聴いたりするなど、音楽に恵まれた環境で育ったそうで、

小学校では、唱歌の時間が好きだったそうです。

(唱歌とは、旧制学校の科目の一つで、歌を歌う授業。現在の音楽の時間に相当するそうです)

渡辺貞夫は15~16歳の時、米映画「ブルースの誕生」に魅せられクラリネットを買ってもらっていた

そんな渡辺貞夫さんは、中学進学後、FENラジオ放送(在日米軍向けに放送されていたラジオ)を聴くようになると、そこから流れてくる、これまで聴いたことがなかったアメリカのポピュラーソングやジャズなどを、夢中になって聴いていたそうですが、

15~16歳の時には、アメリカ映画「ブルースの誕生」(ビング・クロスビー主演)を観て、劇中、少年がクラリネットを吹くシーンに魅了され、すぐに、お父さんにお願いしてクラリネットを買ってもらったそうで、

渡辺貞夫さんは、

アメリカの文化政策だと思いますけど、戦後に音楽映画がいっぱい来たんです。終戦のときに、宇都宮の国道を、戦車を先頭に、アメリカのGI(軍隊)が隊列を整えて入ってきた。それが、ぼくの見た初めての外人。

恐怖心はなかったですね。あまりにかっこいいんで、あっけにとられて。それに加えて、チョコレートやチューイング・ガムをもらって、一気にアメリカというか西欧文化に憧れました。進駐軍放送では毎日のように明るい音楽が流れてくるし。

親父に迫りましてね。で、クラリネットを買ってもらったのが、15~16歳の頃です。ベニー・グッドマンなどに憧れて、そこから始まりました。

たまたま宇都宮のオリオン通りの小さな楽器屋さんに、中古のクラリネットが一本だけぽつんとあったんです。あれ、ぼくの人生にとっては象徴的でしたね。他に楽器なんか置いてないのに、それだけあったんです。

と、語っています。

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渡辺貞夫は15~16歳の時にほぼ自己流でクラリネットを演奏できるようになっていた

とはいえ、渡辺貞夫さんは、クラリネットの弾き方はおろか、持ち方すら分からなかったそうですが、

そんな中、偶然にも、小学校の前にある駄菓子屋のおじさんが、無声映画でクラリネットを吹いていたことを知ったそうで、

店先で、3日間、2オクターブほどの指遣いと吹き方を教わると、それから先は、自己流で一心不乱に練習を重ね、高校を卒業する頃には、一通りの演奏ができるようになったのだそうです。

「渡辺貞夫の若い頃は?クラリネットからサックスに転向していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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