90歳を過ぎた現在も、現役のサックス奏者として活動し、”ジャズ界のスーパー・レジェンド”と称されている、渡辺貞夫(わたなべ さだお)さんですが、
2002年9月9日午後5時5分頃、実兄の渡辺登幾雄さんが、自宅で亡くなっているのが親族などにより発見されていたといいます。
今回は、渡辺貞夫さんの兄・渡辺登幾雄さんが殺害された事件のほか、渡辺貞夫さんのそのほかの兄弟姉妹についてもご紹介します。

「【画像】渡辺貞夫の若い頃は?カリフォルニアシャワーほか現在までのアルバムや経歴は?」からの続き
渡辺貞夫の兄・渡辺登幾雄は殺人事件の被害者だった
渡辺貞夫さんの兄の渡辺登幾雄さんは、前年の2001年に奥さんが他界され、以降、一人暮らしをしていたそうで、2002年9月6日の正午頃、知人の女性が自宅を訪れた際には、渡辺登幾雄さんはいたそうですが、
翌日の9月7日夕方頃、親族の男性が自宅を訪ねた際には、施錠されておらず、靴はある状態ながら、渡辺登幾雄さんはおらず、捜索願が提出されていたといいます。
そして、9月9日夕方、この親族の男性が捜査員を伴って、家の中を確認したところ、1階の押し入れの中から、鼻と口を粘着テープでふさがれ、縛られた状態で布団にくるまれた渡辺登幾雄さんの遺体が見つかったそうで、部屋には異臭が漂っていたといいます。
(ただ、室内には荒らされた形跡はなかったそうです)
その後、雑貨販売業の男と無職の男が強盗殺人の罪で逮捕されたそうで、裁判の結果、2名とも無期懲役が確定したそうですが、
渡辺登幾雄さんは、刀などの古美術品を集めるのが趣味だったそうで、2001年には、美術刀剣や古式銃の研究に従事した功績が評価され、文部科学相から地域文化功労者表彰を受けていたそうで、犯人達はその収集品に目を付けていたとのことでした。
渡辺登幾雄さんは、渡辺貞夫さんの兄として近所でも有名で、気さくで明るい人と評判だったといい、2001年に奥さんが他界された後は、昼過ぎに買い物に行く姿がよく近所の人に目撃されていたそうで、
近所の人は、
ここ2日間ぐらい見かけないので、おかしいなと思っていた
と、話していたといいます。
この事件に対し、渡辺貞夫さんのコメントなどは見つかりませんでしたが、渡辺貞夫さんにとっては、非常に辛い出来事だったと思われます。
渡辺貞夫の弟はジャズ・ドラマーの渡辺文男
そんな渡辺貞夫さんは、5人兄弟の次男で、兄・渡辺登幾雄さんのほか、少なくとも、弟と妹が1人ずついるのですが、弟の一人は、ジャズドラマーの渡辺文男(わたなべ ふみお)さんです。
渡辺文男さんは、1938年12月29日に栃木県宇都宮市で誕生すると、ヴォーカリストとして音楽活動をスタートしたそうですが、1960年にドラムに転向すると、ギターの沢田駿吾さんと共にバンド「ダブルビーツ」として活動を開始したそうで、
その後、ピアノの八木正生さんが加入し、トリオとしての活動を経て、お兄さんの渡辺貞夫さんのグループに参加していたそうです。
そして、その後、1976年に退団すると、自身のバンド「クインテット」を結成し、以降、
- 1982年には、「グルーヴィン・ハイ」

- 2003年には、「Born To Music」

「Born To Music」
などのアルバムをリリースしていたのですが、
2024年3月24日、肺炎のため、85歳で他界されています。
渡辺貞夫の妹はジャズ・ヴォーカリストのチコ本田
また、渡辺貞夫さんの妹の一人は、ジャズ・ヴォーカリストのチコ本田さんです。
チコ本田さんは、1月25日に栃木県宇都宮市に誕生すると、20歳の時には、お兄さんの渡辺貞夫さんのグループから歌手デビューを果たし、以降、都内のナイトクラブ、米軍キャンプなどで活動していたそうですが、
1967年、ジャズ・ピアニストの本田竹広さんと結婚すると、歌手活動を停止し、家庭に入ったそうです。
ただ、1978年には、自身のグループを結成し、活動を再開すると、1979年には、初のリーダーアルバム「Chico」をリリースし、以降、
- 1999年には、「チコ本田ライブ」

- 2013年には、「Live at Aketa’s」
- 2014年には、「チコ本田 ライブ アット ラブ リー バラッド ナイト 」
- 2021年には、「チコ」※アマゾン限定販売
などのアルバムをリリースするほか、現在も音楽活動を継続しています。
「渡辺貞夫の体調不良の原因は病気?90歳の時には狭心症の手術も!」に続く
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