女優・天路圭子さんの強力なバックアップのもと、1970年に芸能界入りすると、フォーク歌手として活動する予定だった、天地真理(あまち まり)さんですが、あれよあれよと人気を博し、一躍、トップアイドルとなります。

「天地真理はデビュー前に映画「めまい」に端役で出演していた!」からの続き

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「時間ですよ」のオーディションに落選していた

フォーク歌手を目指し、「渡辺プロダクション」に入った天地さんですが、「渡辺プロダクション」は当時、新人タレントを歌手デビュー前にテレビドラマに出演させていたことから、

天地さんもこれに従い、1971年6月6日、人気ドラマ「時間ですよ」(第2期・第3期)で、銭湯「松の湯」の従業員役(川口晶さんの次のレギュラー)のオーディションを受けられたそうですが・・・

最終審査まで残るも、(お手伝いさんにしてはあまりにきれいすぎるとの理由で)落選してしまいます。(合格したのは西真澄さん)

森光子のはからいで「時間ですよ」でテレビドラマデビュー

ただ、主演の「おかみさん」こと松野まつを演じる森光子さんが、選考時に天地さんを見て気に入り、不合格にするにはもったいないと、それまで台本にはなかった新登場人物として出演させることを、「時間ですよ」の演出担当の久世光彦さんらに提案されると、

急遽、天地さんのために、「松の湯の健ちゃん」こと宮崎健(堺正章さん)がひたすら憧れる「隣のまりちゃん」役が作られたそうで、1971年、天地さんは、晴れて、「時間ですよ」(7月21日放送)でテレビドラマデビュー。

初出演時には、「松の湯」の隣家の2階の窓辺で、白いギターを弾きながら「恋は水色」を歌われると、その可憐な美しさで一躍脚光を浴びたのでした。


「時間ですよ」より。白いギターを弾く天地さん。

「水色の恋」が大ヒット

そして、同年10月、ファーストシングル「水色の恋」でアイドル歌手としてデビューすると、たちまち大ヒットを記録。


「水色の恋」より。

その後も、

1972年2月「ちいさな恋」
     5月「ひとりじゃないの」
     9月「虹をわたって」
     12月「ふたりの日曜日」


「ちいさな恋」


「ひとりじゃないの」


「虹をわたって」


「ふたりの日曜日」

1973年3月「若葉のささやき」
     7月「恋する夏の日」
     10月「空いっぱいの幸せ」
1974年2月「恋人たちの港」
     6月「恋と海とTシャツと」
     9月「想い出のセレナーデ」


「若葉のささやき」


「恋する夏の日」


「空いっぱいの幸せ」


「恋人たちの港」


「恋と海とTシャツと」


「想い出のセレナーデ」

と、立て続けに大ヒットを連発すると、

「時間ですよ」第2シーズンが終わる頃には、シングルとアルバムが同時にオリコン一位となる快挙を遂げるなど、瞬く間にトップアイドルの座へと上り詰めたのでした。

(ソロ歌手のオリコン連続1位記録は、1980年代に松田聖子さんに破られるまで、トップを独走していたそうです)

真理ちゃんシリーズ

また、天地さんは、テレビでも、1972~1975年にかけて、

「真理ちゃんとデイト」
「となりの真理ちゃん」
「とび出せ!真理ちゃん」
「アタック真理ちゃん!」
「はばたけ!真理ちゃん」

と、冠番組「真理ちゃんシリーズ」が5作も制作されるなど、大ブームを巻き起こし、同期の小柳ルミ子さんや南沙織さんを抑え、ダントツの人気を博すのですが、

天地さんが人気絶頂の頃には、熱狂的な男性ファンが、自分の小指を切り落とし、天地さんに郵送するという事件まで起こったのだそうです。

(天地さんに、自分の一部をいつも持っていてほしいから、というのが理由だったとか)

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もともとはフォーク歌手としてデビューする予定だった

ちなみに、天地さんは、もともと、フォーク歌手を目指していたのですが、それが、アイドル路線に変更したことについては、

アイドル路線になっていったのは、今思うとファンの皆さんがそうしたのだと思います。デビューの時はフォークを歌う方針でしたし私もそう思っていました。

でもデビューした後に状況が大きく変ったのでアイドル路線になっていったと思います。私としてはそれについて不満はありませんでした。

何より歌手になるのが夢でしたし、それで結果が出ていたので楽しかったです。皆で「天地真理」という歌手を作ったと思います。一人では「天地真理」にはなれません。

と、明かされており、不満はなかったようです。

「天地真理は昔病気で芸能活動を休止していた!」に続く

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