1976年、高校2年生の時、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で、見事、初代グランプリに輝くと、1978年には、シングル「夏のお嬢さん」がヒットし、たちまち人気を博した、榊原郁恵(さかきばら いくえ)さん。そんな榊原さんの、生い立ちからブレイクまでの経緯について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

榊原さんは、1959年5月8日生まれ、
神奈川県川崎市のご出身、

身長155センチ、

スリーサイズは、85-63-88、

血液型はB型、

学歴は、
厚木市立厚木第二小学校
⇒厚木市立厚木中学校(テニス部所属)
⇒神奈川県立厚木東高校(人形浄瑠璃クラブ所属)
⇒堀越高等学校編入・卒業

趣味は、
パソコン、アルパ(インディアンハープ)、テニス、バレーボール、

特技は、人形浄瑠璃、

ちなみに、結婚する前の本名は榊原郁恵(さかきばら いくえ)(結婚後は渡辺姓)なのですが、

デビューにあたり、芸名を考えることになった時、「月刊明星」誌上で芸名の公募を行い、その結果、「榊原」の「榊」が読みにくいからと「原郁恵」(はら いくえ)、郁恵の郁も読みにくそうだからと「原恵」(はら めぐみ)、厚木出身だから「厚木郁恵」などといった名前が候補に挙がるも、結局ピンとくるものがなく、

「読みにくい名前だが、一度覚えたら忘れないだろう」と、本名の「榊原郁恵」でいくことになったそうです。

生い立ち

榊原さんは、お父さんが中日新聞社に勤務する、ごく普通のサラリーマンの家庭の次女として誕生すると、幼い頃は、引っ込み思案な性格だったそうですが、小学生の時、映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見たことがきっかけで、女優に憧れを抱くようになったそうです。

その後、成長した榊原さんは、お姉さんが子どもの頃、児童劇団に入っていたこともあり、自分も劇団に入りたいと、高校生の時にハガキで申し込まれたところ、劇団のオーディションの1次審査に合格。(書類選考だったのかもしれません)

ただ、2次審査の日が、家族旅行の日と重なってしまい、お母さんやお姉さんに相談するも、叱られてしまい、泣く泣く断念されたのでした。

「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリ獲得

それでも榊原さんは女優への憧れが捨てきれず、1976年、高校2年生の時、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募すると、なんと、1万5000人の応募者の中から、見事、初代グランプを獲得。

1976年、映画「春琴抄」で女優デビューすると、翌年の1977年1月1日には、ファーストシングル「私の先生」「1億円のシンデレラ」のキャッチコピーのもと、アイドル歌手デビューを果たし、


「私の先生」

山口百恵さん、森昌子さん、石川さゆりさんのトップアイドルが所属する「ホリプロ」からのデビューに、大きな注目が集まったのでした。


1976年12月に撮影された榊原さん。

「夏のお嬢さん」がヒット

その後、榊原さんは、

1977年4月「バス通学/ワルぶった横顔」(2枚目)
     7月「わがまま金曜日/夏のめぐり逢い」(3枚目)
     10月「アル・パシーノ+アラン・ドロン/U.S.航空便」(4枚目)
1978年1月「いとしのロビン・フッドさま/赤いブーツとつむじ風」(5枚目)
     4月「めざめのカーニバル/甘いお話しもう一度」(6枚目)


と、立て続けにシングルをリリースすると、

1978年7月にリリースした7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が、オリコン週間11位を記録する、自身初のヒットを記録。


「夏のお嬢さん」

この年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたほか、ブロマイドの売上も1位を記録するなど、その天真爛漫で爽やかな笑顔で、たちまちお茶の間の人気者になったのでした。

「ナッキーはつむじ風」でアイドルとして人気絶頂に

そして、この頃には、榊原さんのお父さんが56歳という若さで他界されるのですが、山口百恵さん引退後の後釜として、「ホリプロ」からすべてを託された榊原さんは、悲しみに暮れる暇もなく、テレビドラマ、映画、CMと出演。

1978年には、テレビドラマ「ナッキーはつむじ風」で、正義感の強い女子高校生・ナッキーこと星野夏樹役をさわやかに演じると、さらなる人気を獲得。


「ナッキーはつむじ風」より

また、「明星」「平凡」「近代映画」など、当時の芸能雑誌の表紙をたびたび飾るなど、アイドルとして絶頂期を迎えたのでした。

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ミュージカル「ピーターパン」では新記録

また、1981年には、自身初の座長公演であり、ホリプロが初めて手掛けたミュージカル「ピーター・パン」で、主人公ピーターパン役を演じると、当初は、興行的な成功を不安視する声もあったのですが、


「ピーター・パン」より。

公演は、都内有数の収容人数を誇る「新宿コマ劇場」が最後尾まで埋まり、千秋楽を延ばすほどの人気ぶりで、追加公演のチケット発売には、朝から長蛇の列ができたそうで、見事、この年度の「ゴールデン・アロー賞演劇賞」及び「ゴールデン・アロー賞」(大賞)を受賞。

以降7年間、榊原さんは、毎年夏の1ヶ月間を代役なしで主演を務め、全公演340回、76万人を動員されたのでした。

(初演での入場者数は、公演50回で12万3564名と、日本のミュージカル史上、初演時に採算が取れた初のミュージカルとなったそうです)

ちなみに、榊原さんは、

なかでも美智子様と紀宮様(当時)が観劇に来られた事が一番の思い出

と、語っておられました。

「榊原郁恵と旦那の渡辺徹の馴れ初めは?息子は?」に続く

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