1971年、13歳の時にオーディション「スター誕生!」で、初代グランドチャンピオンに輝き、芸能界入りすると、翌年の1972年には、デビュー曲「せんせい」が大ヒットとなり、同学年の山口百恵さん、桜田淳子さんとともに、「花の中三トリオ」と呼ばれ、アイドル的な人気を博した、森昌子(もり まさこ)さん。1986年には、歌手の森進一さんと結婚され、芸能界を引退されるのですが、その後、離婚されると、歌手活動を再開されています。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

森さんは、1958年10月13日生まれ、
栃木県宇都宮市のご出身、

身長154センチ、

血液型はA型、

学歴は、
堀越高等学校卒業、

ちなみに、本名は森田昌子です。

「スター誕生!」で初代グランドチャンピオンに

森さんは、幼い頃から、音楽が好きだったお父さんに厳しく歌のレッスンをさせられていたのですが、その一方で、病弱だったお母さんに代わって、おじいさん、おばあさんに甘やかされて育てられており、そのせいか、極端に人見知りが激しく、

そんな森さんを心配したお母さんが、人見知りを克服させるため、1971年(13歳)、内緒で「スター誕生!」のオーディションに申し込まれたそうで、

森さんは、オーディション当日、

洋服を買ってあげるついでだから

という口実で、歌を歌わせられたそうですが、なんと、グランドチャンピオンに。

その後は、当然のごとく、森さんの自宅に色々な芸能プロダクションが来て、芸能界にスカウトされるのですが、お父さんは芸能界入りには猛反対。

ただ、お母さんの体が弱く、家計も貧しかったことから、家計の助けになればと、森さんご本人がお父さんを説得して芸能界入りすることとなったのでした。

「せんせい」で歌手デビュー~「花の中三トリオ」

こうして、森さんは、翌年1972年7月、ファーストシングル「せんせい」で歌手デビューされると、たちまちヒットを記録。(森さん最大のヒット曲)

そして、続く、

1972年10月「同級生」
1973年2月「中学三年生」

の学園3部作もヒットすると、

1973年には、当時女性としては最年少の15歳で、「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たされるなど、同学年の山口百恵さん、桜田淳子さんとともに、「花の中三トリオ」と呼ばれて、アイドル的な人気を博したのでした。

「越冬つばめ」「愛傷歌」などで国民的歌手に

そして、1977年3月に高校を卒業されると、同年8月にリリースした「なみだの桟橋」より、本格的な演歌歌手へと転換し、

1981年7月「哀しみ本線日本海」
1982年8月「立待岬」
1983年8月「越冬つばめ」
1985年7月「愛傷歌」


などの名曲を次々とリリース。

1985年には、「NHK紅白歌合戦」で、史上2人目となる「司会+トリ」を務められるなど、国民的人気歌手としての地位を不動のものとされたのでした。

森進一と結婚

そんな森さんの、気になるプライベートですが、

森さんは、1986年、同じく演歌歌手の森進一さんと結婚されています。

お二人は、進一さんが立ち上げられた社会福祉活動「じゃがいもの会」のチャリティーコンサートに、昌子さんが参加されたことがきっかけで知り合われ、その後、1年半の交際期間を経て結婚されたそうで、

(進一さんは昌子さんとは再婚で、前妻は女優の大原麗子さん)

ともに演歌界の大スターで、「紅白歌手」としても有名だったお二人の結婚は、当時、大きな話題となり、生中継された結婚披露宴の視聴率は、45.3%という驚異的な数字となっています。

ただ、生中継があだとなり、なんと、結婚式の間に昌子さんの自宅が空き巣に入られ、貴金属一式が盗まれてしまうという事件が起こり、

昌子さんは、結婚式が終わった後、ウェディングドレス姿のまま自宅のソファに座って、警察の事情聴取を受けるはめとなったそうで、とんだ災難に遭われたのでした。

長男次男三男は?

ともあれ、昌子さんは、結婚後は芸能界を引退して家庭に入られ、

1988年には、長男の森内貴寛(もりうち たかひろ)さん、(「ONE OK ROCK」のボーカル)と次男(一般人)

1994年には、三男の森内寛樹(もりうち ひろき)さん、
「MY FIRST STORY」のボーカル)

と3人の男の子を出産されて、家事と子育てに専念。

子育てに熱心で家庭を切り盛りする姿から、献身的な妻のイメージそのままに、「おしどり夫婦」と呼ばれるほど夫婦仲も良好で、幸せな家庭生活を送られていると思われていたのですが・・・

離婚原因は?

その後、昌子さんは、2001年、「第52回NHK紅白歌合戦」に16年ぶりに出場されると、このことをきっかけに、夫の進一さんと頻繁に「ジョイントコンサート」を開催するようになるのですが(進一さんの意向だったようです)、

子育てや家事をきちんとしたい昌子さんにとっては、主婦業と仕事の両立は心身ともに大きな負担となり、次第に夫婦間の溝が深まっていっていったそうで、

2005年2月、ついに、昌子さんは、ストレスからくる過呼吸の発作で意識を失って倒れ、緊急入院されたのでした。

ところが、集中治療室から一般病棟に移った、わずか1日後、進一さんが医師に退院を要請したことで、無理に退院させられてしまいます。

実は、進一さんが退院を要請した理由は、なんと、ハワイでゴルフの約束があったからだったそうで、このことが決定的となり、翌月の3月、昌子さんは進一さんと別居、4月には、離婚となったのでした。

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芸能界復帰

その後、昌子さんは、2006年、歌手として芸能界に復帰されているのですが、やはり、昌子さんが芸能界に復帰したのは、3人の息子さんと実の両親の5人を養わなければならない、という経済的な事情が大きかったそうです。

ただ、いかんせん、長年のブランクがあり、かつてのように歌えるのか、不安が大きく、復帰をためらわれていたそうですが、そんな森さんの背中を押したのは、3人の息子さんたちだったそうで、

森さんは、

ある日、3人それぞれから、「母さんの歌が聴きたい」と言われました。

悩んでいた私を見て、励まそうと思ったのでしょう。買い物で留守にしている間に、みんなでそう言おうと、長男が仕組んだのだと思います。

と、明かされています。

実は、森さんは家庭に入られて以来、お子さんたちの前では一度も歌を歌ったことがなく、若い頃の自身が歌っている姿がテレビで放送されると、慌てて飛んでいき、スイッチを消すほどの徹底ぶりだったそうですが、

それは、お父さんが歌手というだけでも一般家庭と違うため、せめてお母さんだけでも普通でいようとの思いからだったとか。

ただ、それでも、お子さんが小学校高学年になると、友達を通じて、お母さんが昔歌手をしていたことを知ったようですが、母親思いの、いいお子さんたちに恵まれて良かったですね♪


昌子さんと長男の森内貴寛さん♪

さて、いかがでしたでしょうか?

復帰後は精力的に活動されるも、2009年には、「子宮筋腫」「子宮腺筋症」「子宮頸癌」を患ってしまい、レーザーで切除されるも再発。

2010年には、ついに子宮全摘手術を受けられた森さんですが、闘病中は、やはり、お子さんたちの存在が心の支えとなっていたとのことでした。

現在は完治されており、ほっと一安心ですが、ご病気はこれまでの無理がたたったのかも・・・

これからは無理をせず、その伸びやかで美しい歌声をいつまでも聴かせてほしいですね。

応援しています!!

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