森昌子さん、和田アキ子さん、榊原郁恵さんなどのスターを次々と輩出し、近年では、深田恭子さん、綾瀬はるかさん、石原さとみさんなど有名タレントが数多く在籍している「ホリプロ」の創業者、堀威夫(ほり たけお)さん。

そんな堀威夫さんは、1972年、オーディション番組「スター誕生」で、最も地味だったという山口百恵さんを獲得すると、歌に映画にと売り出し、トップスターに押し上げているのですが、人気絶頂だった1979年、突然、山口百恵さんから「引退したい」と言われるも、引き止めず、承諾していたといいます。

今回は、堀威夫さんが、山口百恵さんと出会い、頂点まで押し上げた経緯、また、なぜ、稼ぎ頭だった山口百恵さんの引退を快諾したのかを、堀威夫さんの証言を交えてご紹介します。

堀威夫

「【画像】堀威夫の若い頃(ホリプロ設立以降)から現在までの経歴は?」からの続き

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堀威夫は「スター誕生!」で最も地味な山口百恵を獲得していた

1972年12月31日、オーディション番組「スター誕生!」の第5回決勝大会が行われ、堀威夫さんは、決勝戦に残った13人の中から、山口百恵さん(14歳)を獲得したそうですが、

スターを目指し、着飾っている女の子たちの中、山口百恵さんは、ジーパンにトレーナーという地味な姿で、最も印象が薄かったそうで、

堀威夫さんは、この時の山口百恵さんについて、

(百恵は)歌も上手くないし、足も太かった。審査員の阿久悠も、「芝居なら行けるかもしれないが、歌はやめたほうがいい」と言ったほど。百恵を取った時、社内も大ブーイングでね。「足が太いのは健康な証拠だ」と言い訳しましたよ(笑)

そもそも歌手の登竜門番組「スター誕生!」(日テレ系)のオーディションに出場したのも、本人の意思ではなかったのです。友達の代わりに出場したのですが、歌は決して上手くないし、声も弱い。アイドルとはほど遠い「暗い」イメージでした。

と、語っています。

堀威夫は桜田淳子の代わりに山口百恵を獲得していた

実は、当時、「ホリプロ」では、美空ひばりさん、雪村いづみさん、江利チエミさんの「3人娘」にならって、3人組の女性アイドルを売り出そうという企画があったそうで、


「ジャンケン娘」より。(左から)美空ひばりさん、雪村いづみさん、江利チエミさん。

すでに、森昌子さん、石川さゆりさんがいたことから、あと一人必要で、「スター誕生!」(第4回)で最優秀賞(グランドチャンピオン)に輝いた桜田淳子さんを狙っていたそうですが、

「ホリプロ」には、すでに、「スター誕生!」の初代グランドチャンピオンに輝いた森昌子さんが所属していたことから、日本テレビ側に、「スター誕生!」のグランドチャンピオンを同じ事務所が独占するのはどうかと言われたそうで、

桜田淳子さんの獲得を諦め、その代わりとして、準優勝した山口百恵さんを獲得したのだそうです。

堀威夫は山口百恵を映画と歌で売り出していた

ただ、山口百恵さんは、1973年5月、14歳で、ファーストシングル「としごろ」でデビューするも全く売れなかったそうで、

堀威夫さんは、山口百恵さんの次のシングルを考える前に、映像にシフトチェンジをしようと考えたといいます。

そこで、翌年の1974年がホリプロ設立15周年だったことから、交流のあった映画会社「松竹」に「ホリプロオールスター」出演の映画企画と抱き合わせで、山口百恵さんの映画の企画を打診したそうですが、

百恵は無理

と、断られてしまったそうで、

どうしたものかと考えあぐねていると、

東宝の営業本部長が交代しているので話をしてみたら

との情報が入り、

早速、東宝の営業本部長に山口百恵さんの映画の企画を持ち込むと、即、快諾してくれ、そればかりか、

正月に予定していた映画が1本飛んだので、百恵の映画を繰り上げたい

と、言われたそうで、

(2本立てでメインではなかったそうですが)

いきなり初主演、しかも1974年のお正月に公開という幸運に恵まれたのだそうです。

すると、歌の方でも、1973年9月にリリースした、2枚目のシングル「青い果実」が、オリコンチャートで初めてベストテン入りするヒットとなると、これを皮切りにヒットを連発したそうで、

「青い果実」
「青い果実」

1974年6月にリリースした5枚目のシングル「ひと夏の経験」が、累計売上75万枚を記録する大ヒットとなったことで、山口百恵さんは、一躍、スターダムに駆け上ったのでした。

「ひと夏の経験」
「ひと夏の経験」

ちなみに、堀威夫さんは、

(「青い果実」から「ひと夏の経験」まで)「青い性路線」と揶揄(やゆ)されましたが、それはこちらの作戦でもありました。中学生だった百恵に“性”を連想するような意味深な歌詞を歌わせて、聴く人に勝手に連想させる。

詞で声の弱さをカバーしたわけです。「横須賀ストーリー」から起用した宇崎竜童阿木燿子との出会いによって歌手としても大きく成長しました。

と、語っています。

堀威夫は人気絶頂の山口百恵から引退を切り出されショックを受けるも引き止めず承諾していた

そして、1974年のお正月に公開された映画「伊豆の踊子」も、相手役の三浦友和さんとの共演が話題となり、たちまち大ヒットを記録すると、

その後も、山口百恵さんは、三浦友和さんとのコンビでCMに出演するほか、宇津井健さんとの共演でテレビドラマ「赤いシリーズ」に主演するなど、その人気を不動のものとしたのですが・・・

そんな人気絶頂期の中、1979年の暮れ、堀威夫さんは、山口百恵さんから、直接、

相談がある

と、連絡がきたそうで、

堀威夫さんが、すぐに、幹部の一人を交え、食事のセッティングをすると、

山口百恵さんには、

友和さんと結婚します。結婚を機に引退したいと思います

と、言われ、

言葉を失うほどのショックを受けたといいます。

(「ホリプロ」にとって、まだ20歳で稼ぎ頭だった山口百恵さんを失うことは、大きな痛手になることが明らかでした)

実は、堀威夫さんは、山口百恵さんが三浦友和さんと交際していることは、本人から直接聞いたわけではなかったものの、常に接していたことから、(マスコミに発覚する前から)気づいていたそうで、

三浦友和さんは見た通りの好青年であったことから、特に反対することもなく、結婚も覚悟はできていたそうですが、

まさか、「引退」と言われるとは夢にも思っていなかったのだそうです。

ただ、堀威夫さんは、山口百恵さんの眼差しから強い意思を感じ、引き止めることはせず、引退を承知したそうで、

百恵が、母子家庭、それも父親の存在すら知らない複雑な家庭環境であることは、事務所に入る際に聞いていました。しかし、百恵自身から家庭の悩みなどを聞いたことはありません。そんなことは芸事に関係ありませんから。

ただ、早婚、引退の道を選んだのは、「普通の家庭が欲しい。母親を楽にさせたい」という秘めた思いが強かったのだと思います。

と、語っています。

(ちなみに、山口百恵さんは、三浦友和さんとは映画「伊豆の踊子」での共演で出会っているのですが、実は、山口百恵さんの相手役は、当初、公募で選ばれた東大生だったそうで、西河克己監督が乗り気でなく、まだ無名の役者だった三浦友和さんに白羽の矢が立っていたそうで、まさに運命的な出会いだったそうです)

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堀威夫は山口百恵の結婚式で父親代わりとしてバージンロードを歩いていた

そんな堀威夫さんは、なんとしても山口百恵さんの有終の美を飾って送り出したいと思い、山口百恵さんと三浦友和さんの3人だけで結婚と引退の日取りを練ったそうで、

マスコミに知られることだけは絶対に避けなければならなかったため、社員はもちろん、自身の家族にも話せず、つらい日々を過ごしたそうですが、

マスコミに漏れることなく、無事、ホリプロ創業20周年の記念パーティーが行われる1980年10月15日に、山口百恵さんは引退し、それから1ヶ月後の1980年11月19日には、山口百恵さんと三浦友和さんの結婚式と披露宴が執り行われたのだそうです。

堀威夫と山口百恵
母子家庭で育った山口百恵さんの父親代わりとしてバージンロードを歩く堀威夫さん。

ちなみに、堀威夫さんは、

(山口百恵さんが)引退後も、毎年のように復帰の話が騒がれました。私のところへも何度となく問い合わせがありましたが、私の答えはひとつ「わかりません。復帰させたい人がいるなら勝手にやって下さい」。

今もたまに電話で話をしますが、復帰の話はまったくしません。私自身、復帰はないとずっと確信しています。「大和桜は花と散れ」――。百恵はそういう女性でした。

と、語っています。

また、堀威夫さんは、経営者の視点からも、山口百恵さんの引退について、

ホリプロ創立20周年を翌年に控えた1979年のことです。わが社の看板スターだった山口百恵が突然、引退すると言い出しました。そして80年10月に潔く芸能界を引退し、俳優・三浦友和君と結婚式を挙げました。

多くの業界関係者は「これでホリプロもつぶれる」と思ったようです。というのも稼ぎ頭だった彼女がいなくなるのは、当社にとって大きな痛手だったからです。しかし私は、売り上げが大幅に減るのを承知で百恵の引退を承諾しました。

「三浦友和の魅力にホリプロが負けたんだから仕方がない」。そう言って社内を説得しました。

なぜ、快く百恵を送り出すことができたのか。それは、ひとりのアーティストに全体の25%以上の売り上げを依存しないという「2割5分の原則」を守って、彼女の売り上げを22%にとどめておいたからです。

22%減ならそれまで食べていたステーキをカレーライスに替える程度の努力で耐えられます。

と、語っています。

「堀威夫の妻は?結婚後の夫婦関係は?子供(息子)は堀一貴と堀義貴!」に続く

「スター誕生100記念 / 山口百恵」

お読みいただきありがとうございました

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