14歳の時、ファーストシングル「天使も夢みる」でアイドル歌手デビューすると、たちまち人気を博し、15歳の時には、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」で「第15回日本レコード大賞最優秀新人賞」「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」を受賞するなど、この年の各音楽賞の新人賞を総なめにし、トップアイドルの地位を不動のものにした、桜田淳子(さくらだ じゅんこ)さん。

今回は、そんな桜田淳子さんの、幼少期(生い立ち)から「スター誕生!」でグランドチャンピオンになり「サンミュージック」への所属が決まるまでをご紹介します。

桜田淳子

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桜田淳子のプロフィール

桜田淳子さんは、1958年4月14日生まれ、
秋田県秋田市新屋表町の出身、

身長161センチ、

血液型はО型、

学歴は、
秋田市立日新小学校
⇒秋田市立秋田西中学校
⇒品川女子学院中等部(転入)
⇒品川女子学院高等部
⇒国本女子高等学校(編入)卒業

ちなみに、「桜田淳子」は本名で(結婚後は「東淳子(あずま じゅんこ)」)、愛称は、「ジュンペイ」「淳ちゃん」「ズン子」だそうです。

桜田淳子は幼い頃に東京から帰省した叔母の影響で東京に憧れを抱くようになっていた

桜田淳子さんは、十條製紙に勤める会社員のお父さん・金一郎さんとお母さん・ワカさんのもと、3人きょうだい(兄1人姉1人)の末っ子として誕生すると、

幼い頃、東京から帰省した美人な叔母さんが話す、聞き慣れない東京弁の響きに魅了され、東京へ強い憧れを抱くようになったそうです。

(この時の経験が、後に上京した際、標準語の習得に大きく役立ったそうです)

桜田淳子は小学6年生の時から女優になりたいと思っていた

そんな桜田淳子さんは、幼稚園に上がった頃ぐらいから、人前で何かを表現することに喜びを感じるようになったそうで、

小学校の学芸会では常に中心的な存在になると、小学校6年生の頃には、将来の夢を問われたアンケートに、「女優」と書いたそうで、

桜田淳子さんは、

せっかく生まれてきたんだから、秋田にいて平凡な人生は送りたくない。東京へ行きたい

と、ずっと考えていたといいます。

桜田淳子は中学1年生の時に「スター誕生!」で同い年の森昌子がグランプリに輝く姿を見てすぐに応募していた

そして、中学校進学後は、自ら演劇部を創設して部長を務めるなど、さらに表現への情熱が加速すると、

そんな中、1971年10月、中学1年生(13歳)の時、オーディション番組「スター誕生!」で、同い年の森昌子さんがグランプリに輝く姿を見て衝撃を受けたそうで、

そのまま、乗り出すようにテレビの画面を見ていると、番組内で「秋田地区オーディション」の告知が流れたことから、桜田淳子さんは、すぐに応募ハガキを投函したそうで、両親や学校には一切相談せず、オーディション会場へと向かったのだそうです。

桜田淳子は中学2年生の時「スター誕生!」のテレビ予選を番組史上最高得点で合格していた

こうして、桜田淳子さんは、1972年7月19日、中学2年生(14歳)の夏、地元・秋田県民会館で行われた「スター誕生!」のテレビ予選に出場し、牧葉ユミさんの「見知らぬ世界」を歌うと、

見事、番組史上最高得点となる573点を叩き出し、圧倒的な実力で合格。

当時、「スター誕生!」のディレクターをしていた金谷勲夫さんは、

予選に参加した560人の中で彼女だけ白い帽子を被ってニコニコしていた。誰が見てもあの子が本命と直感したほど煌(きら)めく笑顔が印象的でした。ちゃんと声さえ出してくれれば合格と誰もが思っていましたね

と、絶賛し、

桜田淳子さんが所属することになる事務所「サンミュージック」の創業者・相澤秀禎さんと二人三脚で奮闘してきたという元専務の福田時雄さん(現在は名誉顧問)も、この予選を家のテレビで観ていたそうですが、

画面に白い帽子をかぶった桜田淳子さんの姿が映った途端、

この子だ

と、跳び上がったそうで、

淳子は可愛く明るくパワーがあった。帽子を被って自分を目立たせる演出も心得ていて。スタ誕のプロデューサーだった金谷勲夫さんは淳子を“天使”と言い、阿久悠さんは“可愛いだけで天才だ”と評したんですが、確かにその存在感は、天使であり天才的でした

と語り、桜田淳子さんがタレントとして全てのものを持っていたと絶賛しています。

(この白い帽子は、後にエンジェル・ハットとして、桜田淳子さんのトレードマークになっています)

桜田淳子は中学2年生の時に「スター誕生!」の「第4回決戦大会」でグランドチャンピオンに輝いていた

そして、同年(1972年)9月6日(放映は9月17日)には、後楽園ホールで、「第4回決戦大会」が行われたそうですが、

桜田淳子さんの勢いは止まらず、番組史上最多となる25社の芸能事務所から獲得意向のプラカードが上がるなど、審査員からも圧倒的な評価を受け、見事、最優秀賞(グランドチャンピオン)に輝いたのでした。

萩本欽一と桜田淳子
「スター誕生!」より。萩本欽一さんと桜田淳子さん。

ちなみに、大手芸能事務所「ホリプロ」の創業者の堀威夫さんも、桜田淳子さんの獲得に名乗りを上げていたそうですが、

「ホリプロ」には既に、この「スター誕生!」で初代グランドチャンピオンに輝いた森昌子さんが所属していたことから、日本テレビ側に、同じ事務所ばかりが(「スター誕生!」のチャンピオンを)独占するのはどうかと言われ、やむなく、桜田淳子さんの獲得を諦めていたといいます。

(「スター誕生!」は、萩本欽一さんの司会で、挑戦者が歌唱した後に事務所やレコード会社がプラカードを掲げてスカウトする形式のオーディション番組でした)

桜田淳子は中学2年生の時に多数の誘いの中「サンミュージック」に所属することを決めていた

そんな桜田淳子さんは、多くの事務所から誘いを受ける中、最終的には、「サンミュージック」への所属が決定しているのですが、

福田時雄氏によると、決戦大会後、桜田淳子さんと桜田淳子さんを獲得したい事務所の交渉が、後楽園ホールの下の中華料理店で行われると、桜田淳子さんとその親御さん、日本テレビ関係者が座る前で、交渉が始まったそうですが、

福田時雄氏は、その時の光景について、

なにせ25社とスカウトマンが多いので揉めてね。結局、あいうえお順で3分間のみ、契約金の話はしないというルールを決め、自社アピールをすることになりました。みんな淳子が欲しくて、おい時間だぞ、なんて怒号が飛んで、ぴりぴりしていました

と、語っています。

そして、9番目だった福田時雄氏は、わずか3分で何を話そうかと口説き文句に迷ったそうですが、とっさに、持ち合わせていた看板俳優の森田健作さんのドラマの台本を見せ、

もしうちに来ていただけたら、森田健作の妹役などもあるかもしれない

と、話すと、

桜田淳子さんは、顔をパッと輝かせ、

(私は)森田さんのファンです

と、言ったそうで、

結局、これが決め手となり、桜田淳子さんは、「サンミュージック」に所属することになったのだそうです。

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桜田淳子は14歳の時に単身上京していた

こうして、桜田淳子さんは、1972年10月中旬、芸能界に入るために単身で上京すると、東京・大森に住む叔母さんの家に寄宿し、

その後、いつ頃かは不明ですが、所属事務所「サンミュージック」の創業者で社長の相澤秀禎氏の自宅で暮らすことになったのだそうです。

(上京にあたり、桜田淳子さんのお父さんは、「サンミュージック」に対して、「高校を絶対に卒業させること」と「20歳まで間違いがないようにすること」の2つの条件を出したといいます)

「【画像】桜田淳子の若い頃から現在までのヒット曲や出演映画ドラマ舞台は?」に続く

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