1985年、19歳の時、「涙の茉莉花LOVE」でソロデビューすると、いきなりオリコン初登場1位を獲得し、その後も、「落葉のクレッシェンド」「青いスタスィオン」「再会のラビリンス」「悲しい夜を止めて」が立て続けに大ヒットとなった、河合その子(かわい そのこ)さんですが、
その後は、衣装デザインや作詞を手がけるなど、アーティストとしてセルフプロデュースを展開しています。
今回は、河合その子さんの、若い頃(おニャン子クラブ卒業後)から現在までの楽曲(シングル)や経歴を時系列でご紹介します。

「【画像】河合その子の若い頃(デビュー前からおニャン子クラブ卒業まで)は?」からの続き
河合その子は20歳でおニャン子クラブ卒業後はソロ活動を本格化させていた
1986年4月1日、20歳の時、「おニャン子クラブ」を卒業した河合その子さんは、
- 4月2日から初のソロコンサートツアー「MEN’S BRAND SONOKO」
- 4月7日からニッポン放送「河合その子 拝啓その子です」
などを開始し、ソロ活動を本格化させています。
河合その子は20歳の時にアルバム「Siesta」、21歳の時に「Mode de Sonoko」が大ヒット
そして、1986年5月21日には、アルバム「Siesta」を、

「Siesta」
同年10月には、フランスを舞台にしたコンセプト・アルバム「Mode de Sonoko」をリリースすると、

「Mode de Sonoko」
この2枚のアルバムは、共に、オリコンLPチャート1位となる大ヒットを記録しています。
河合その子は21歳の時に「再会のラビリンス」「悲しい夜を止めて」がオリコンチャート1位を記録する大ヒット
さらに、河合その子さんは、1986年7月2日にリリースした、4枚目のシングル「再会のラビリンス」が、週間オリコンチャート1位を記録する大ヒット。

「再会のラビリンス」
そして、同年10月22日にリリースした5枚目のシングル「悲しい夜を止めて」も、週間オリコンチャート1位を記録する大ヒットとなっています。

「悲しい夜を止めて」
ちなみに、この「悲しい夜を止めて」は、隣で眠る女性を残して静かに去っていく男性の視点で別れを描いたもので、
当初プロダクション側はその斬新な歌詞に戸惑いを見せたそうですが、河合その子さん自身がこの曲を歌うことを強く希望したため、リリースが実現したのだそうです。
また、河合その子さんは、「悲しい夜を止めて」で、初めて専用衣装が作られたそうですが、自身のアイデアがデザインに反映されたそうで、
これを皮切りに、ステージ衣装のデザインや楽曲制作にも積極的に関わるようになり、アイドルからの脱却を目指したセルフプロデュースの道も歩み始めたのでした。
河合その子は23歳の時にアーティスト路線へと転向していた
その後も、河合その子さんは、シングルをリリースしたり、コンサートツアーを行うなど、音楽活動を継続して行い、「夕やけニャンニャン」にもコンスタントにゲスト出演し、テレビドラマにも出演するなど、精力的に活動していたのですが、
1988年、23歳の時には、テレビ出演拒否宣言をして、雑誌やメディアへの露出を減少させると、作曲やプロデュースを自身で手掛けるなど、完全にアーティスト路線へと転向しています。
河合その子は28歳の時に後藤次利との結婚により芸能界を引退していた
そして、1990年には活動休止を発表し、しばらく芸能界から遠ざかっていたのですが、
1994年4月には、作曲家の後藤次利さんと結婚し、既に芸能界を引退していることが報じられています。
河合その子の現在は?
その後、河合その子さんは、2000年に、テレビドラマ「多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還」で、夫の後藤次利さんが音楽を担当した縁で、一瞬のカットのみ出演しているのですが、
芸能界復帰というわけではなく、その後は、長らく芸能界から離れていたのですが、
2010年4月、44歳の時、資生堂の新化粧品ブランド「IN&ON」のコマーシャルへの出演で本格的に芸能界に復帰すると、
以降、出身地である愛知県東海市の実家近くで、家族と共に静かな生活を送りながら、時々、芸能活動を行っているといいます。
(ただ、近年は、あまり表舞台には姿を見せていないようです)
河合その子のシングル(ソロ)
それでは、最後に、河合その子さんのシングル(ソロ)をご紹介しましょう。
- 1985年「涙の茉莉花LOVE」

「涙の茉莉花LOVE」 - 1985年「落葉のクレッシェンド」

「落葉のクレッシェンド」 - 1986年「青いスタスィオン」

「青いスタスィオン」 - 1986年「再会のラビリンス」

「再会のラビリンス」 - 1986年「悲しい夜を止めて」

「悲しい夜を止めて」 - 1987年「哀愁のカルナバル」

「哀愁のカルナバル」 - 1987年「JESSY」

「JESSY」 - 1987年「夢から醒めた天使」

「夢から醒めた天使」 - 1988年「雨のメモランダム」

「雨のメモランダム」
と、シングルをリリースしています。
「河合その子の夫・後藤次利との馴れ初めは?夫婦仲は?子供は息子が1人!」に続く
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「おニャン子クラブ」のメンバーとしてだけでなく、ソロでも数々のヒットを連発し、特に「青いスタスィオン」や「涙の茉莉花LOVE」などの楽曲が今もなお愛され続けている、河合その子(かわい そのこ)さん。 そんな河合その子さん …
















