1985年4月、新番組「夕やけニャンニャン」のオーディションに合格して「おニャン子クラブ」のメンバーとなると、同年9月には、ソロデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」がたちまちヒットし、アイドルとしてブレイクした、河合その子(かわい そのこ)さん。
今回は、河合その子さんの、若い頃(高校時代に芸能界入りしてから「おニャン子クラブ」を卒業するまで)の経歴をご紹介します。

河合その子のプロフィール
河合その子さんは、1965年6月20日生まれ、
愛知県東海市の出身、
身長160センチ、
血液型はB型、
学歴は、
明佳幼稚園
⇒東海市立加木屋小学校
⇒東海市立三ツ池小学校(転校)
⇒名古屋市内の中学校
⇒日本福祉大学付属高校卒業
ちなみに、「河合その子」は本名で、「花園のように美しい子になって欲しい」という両親の願いが込められているそうです。
河合その子の国籍は?ハーフ?
河合その子さんを「国籍」「ハーフ」で多くの人が検索しているようですが、河合その子さんは、愛知県東海市出身の日本人です。
ちなみに、河合その子さんは、デビュー当時から「ハーフ」と噂されていたのですが、
その背景には、デビュー当時に打ち出された「リセエンヌ」(フランス語で女子学生という意味)というヨーロッパ志向のイメージ戦略と、河合その子さん自身が持つ、ミステリアスで独特の雰囲気が相まって、「ハーフ」という噂が立ったと考えられています。
河合その子は高校3年生の時に「ティーンズ・ポップ・コンテスト’83」で準優勝し芸能界入りしていた
河合その子さんは、少女時代から松田聖子さんのファンだったそうで、
1983年、高校3年生の夏、松田聖子さんに会えるかもしれないと思い、CBS・ソニー主催のオーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト’83」に応募したそうですが、
なんと、このコンテストで準優勝したそうで、これをきっかけに芸能界入りを果たしたそうです。
河合その子は高校卒業後は専門学校に進学していた
そんな河合その子さんは、1984年には、特別番組「新春レコード会社8社対抗オールスター大運動会」にソニー代表として出演しているのですが、
それ以外、芸能活動はせず、高校卒業後は、経済(コンピューター系)専門学校に進学したそうです。
河合その子は19歳の時に就職が決まっていた中、新番組「夕やけニャンニャン」のオーディション参加を提案されていた
そして、1985年3月には、就職も内定をもらっていたそうですが・・・
ソニー関係者からフジテレビの新番組「夕やけニャンニャン」のオーディション参加を提案されたそうで、
当初は突然の提案に戸惑ったそうですが、松田聖子さんへの憧れが再び募ったそうで、オーディションの参加を決意したのだそうです。
河合その子は19歳の時「夕やけニャンニャン」内コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場し合格していた
こうして、河合その子さんは、番組初回の1985年4月1日、「夕やけニャンニャン」内コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の第1回に出場すると、
4月5日放送回で140点を獲得し、見事、合格したのでした。(歴代2位の高得点だったそうです)

河合その子は20歳の時に初出演ドラマ「スケバン刑事」で悪役を演じていた
その後、河合その子さんは、「おニャン子クラブ」の会員番号12番として活動を開始すると、
1985年7月、20歳の時には、テレビドラマ「スケバン刑事」で、主人公の麻宮サキ(斉藤由貴さん)と対峙する”悪の3姉妹”のうちの一人を演じているのですが、
(テレビドラマ初出演で、「おニャン子クラブ」のメンバーの中でも初のソロ活動でした)
河合その子さんの、
ゲームなんだよ!
という台詞が、話題となりました。

「スケバン刑事」より。
河合その子は20歳の時にソロデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」が大ヒット
また、河合その子さんは、同年(1985年)9月1日には、「おニャン子クラブ」では初となるソロデビューを、ファーストシングル「涙の茉莉花LOVE」で果たすと、
いきなり、オリコンチャート初登場5位を記録し、翌週には1位を獲得する大ヒットを記録。
河合その子さんは、この「涙の茉莉花LOVE」の大ヒットで、アイドルとしての地位を確立したのでした。

「涙の茉莉花LOVE」
(B面の「恋のチャプターA to Z」は、国生さゆりさん、名越美香さん、高井麻巳子さん、城之内早苗さんと共に、”河合その子 with おニャン子クラブ”名義として歌唱しています)
河合その子は20歳の時に2枚目のシングル「落葉のクレッシェンド」も大ヒット
その後も、河合その子さんは、同年(1985年)11月21日にリリースした2枚目のシングル「落葉のクレッシェンド」がオリコン週間チャート2位を獲得する大ヒットを記録しています。

「落葉のクレッシェンド」
河合その子は20歳の時に大映ドラマ「ヤヌスの鏡」でヒロインの親友役
また、河合その子さんは、同年(1985年)12月には、大映ドラマ「ヤヌスの鏡」で、ヒロイン・裕美(杉浦幸さん)の親友・阿部純子役でレギュラー出演しています。

「ヤヌスの鏡」より。
河合その子は20歳の時にファーストアルバム「その子」をリリース
そして、同年(1985年)12月5日には、ファーストアルバム「その子」をリリースすると、
12月28日には、品川プリンスホテル・ゴールドホールでファーストソロコンサートを開催しています。
河合その子は20歳の時に月曜ドラマランド「透明少女」でドラマ初主演を務めていた
そんな河合その子さんは、1986年3月10日放送の月曜ドラマランド「透明少女」では、ドラマ初主演を務めているのですが、
高校の水泳部の七世役ということで、水着姿や入浴シーンもあり、話題となりました。

「透明少女」より。
ちなみに、月曜ドラマランドは、ゴールデンタイムという時間帯でありながら、単発のドラマ特番として放送されていたのですが、軽快で親しみやすい内容を中心とした番組構成となっており、
(重厚な人間ドラマや社会派がテーマのドラマは扱わなかったそうです)
1986年以降は、フジテレビが擁する「おニャン子クラブ」の所属メンバーを主役に据え、演技力よりもアイドル性を重視した配役の作品が中心となっていたことから、批評家からは「素人演劇のようなドラマ」として批判的に評されることもありました。
河合その子は20歳の時に「青いスタスィオン」が34.1万枚を売り上げる大ヒット
また、河合その子さんは、同年(1986年)3月21日には、3枚目のシングル「青いスタスィオン」をリリースしているのですが、
またしても、オリコン週間チャートで2週連続1位、34.1万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。
(河合その子さん自身が出演する、森永製菓「Hi-SOFT」のCMソングにも起用されました)

「青いスタスィオン」
河合その子は20歳の時におニャン子クラブから卒業していた
ただ、そんな河合その子さんも、1986年3月31日、「夕やけニャンニャン」第1回卒業式で、中島美春さんと共に番組を卒業すると、
同年4月1日には、日本武道館公演をもって、「おニャン子クラブ」からも卒業しています。
「【画像】河合その子の若い頃(おニャン子クラブ卒業後)から現在までの経歴は?」に続く
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