1971年、ベーシストとしてプロデビューすると、1980年代には、主に編曲家やプロデューサーとして活動し、沢田研二さん、シブがき隊、一世風靡セピア、おニャン子クラブ、工藤静香さんなど、特にアイドルの楽曲でヒットを飛ばした、後藤次利(ごとう つぐとし)さん。

今回は、そんな後藤次利さんの、若い頃(ベーシスト時代)のアルバムや経歴を時系列でご紹介します。

後藤次利

「後藤次利の生い立ちは?幼少期はテレビっ子!中学でエレキギターを始めていた!」からの続き

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後藤次利は19歳の時バンド「ブレッド&バター」でベーシストとしてプロデビュー

中学・高校時代は、ギターを演奏していたという後藤次利さんですが、1971年、19歳(大学2年生)の時、高校時代、同級生で共に軽音部に入っていた林立夫さんから電話があり、ベースをやってほしいと頼まれたそうで、

(林立夫さんは、バンド「ブレッド&バター」で活動しており、岸部シローさんとのジョイントコンサートで全国ツアーをすることになっていたそうですが、ベースがおらず、急遽、後藤次利さんに白羽の矢が立ったのだそうです)

四ツ谷のスタジオに呼ばれると、岸部シローさんの兄・岸部一徳さんからフェンダーのJAZZベースを借りて練習したそうで、翌日には、早速、ツアーに参加したのだそうです。

(これが、後藤次利さんのベーシストとしてのプロデビューだったそうです)

後藤次利は23歳の時「キャラメル・ママ」の収録曲「チョッパーズ・ブギ」でのチョッパー奏法が大きな話題となっていた

すると、後藤次利さんは、バンド「ブレッド&バター」で頭角を現したそうで、1974年には、「小坂忠フォージョーハーフ」、吉田拓郎さんのセッションバンド「新六文銭」、「トランザム」、「ティン・パン・アレー」のセッションやライブなどに参加したそうですが、

「ティン・パン・アレー」のアルバム「キャラメル・ママ」(1975年)に収録されている「チョッパーズ・ブギ」では、”チョッパー奏法”と呼ばれる、ピックを使わず、指で直接弦をはじく奏法を披露し、大きな話題となっており、

後藤次利さんは、そのことについて、

あの(チョッパー奏法=ピックを使わず、指で直接弦をはじく奏法)弾き方については、ただ他の人達よりちょっと早くチャレンジしただけです。

最初は(僕も)どういう風にやるのか分らなくて…海外のプレイヤーのものを、耳だけで聴いて音を憶えた。何度聴いても、指2本だけで弾いてるとは思えませんからね(笑)。想像しながらやった結果が、ああなった。今は“スラップ”と呼ぶらしいですが・・・

と、語っています。

後藤次利は23歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」のベーシストとして独特のチョッパー奏法がイギリスで絶賛されていた

また、後藤次利さんは、1975年には、高橋幸宏さんに誘われ、(脱退した小原礼さんの代わりのベーシストとして)「サディスティック・ミカ・バンド」の3枚目のアルバム「HOT! MENU」のレコーディングに参加すると、

その直後に行われたイギリス公演(1975年10月2日~24日)にも参加しているのですが、ここでも、独特のチョッパー奏法が”フラメンコスタイル”として絶賛されています。

後藤次利は23歳の時に高橋幸宏らと「サディスティックス」を結成

そして、同年11月、「サディスティック・ミカ・バンド」が解散すると、その後は、高橋幸宏さん、高中正義さん、今井裕さんと「サディスティックス」を結成し、

と、2枚のアルバムをリリースしています。

(ただ、その後、「サディスティックス」は、メンバーそれぞれの活動が忙しくなり、後藤次利さん自身も、他のアーティストのアレンジ&作曲やスタジオミュージシャンなどの仕事が増え、自然消滅しています)

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後藤次利は26歳の時にソロアルバム「ON BASS」、27歳の時に「Mr.Bassman」をリリース

その後、後藤次利さんは、ソロでも活動し、

以降、

などのアルバムをリリースしています。

「【画像】後藤次利の若い頃から現在までの代表曲(提供曲)や経歴は?」に続く

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