1983年、木之内みどりさんと2度目の結婚をするも、1987年に離婚した、後藤次利(ごとう つぐとし)さんは、1994年、元「おニャン子クラブ」の河合その子さんと3度目の結婚をしています。
今回は、そんな後藤次利さんの、現在の妻・河合その子さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供についてご紹介します。

「後藤次利の前妻は玉井タエ!木之内みどりとの不倫で離婚?堀ちえみとも?」からの続き
後藤次利の3人目の妻・河合その子との馴れ初めは?
後藤次利さんは、1987年に、木之内みどりさんと離婚すると、1994年には、元「おニャン子クラブ」の河合その子さんと結婚しています。
ただ、後藤次利さんは、プライベートについてほとんど明かしていないため、いつ頃から交際し、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
とはいえ、後藤次利さんは、「おニャン子クラブ」の楽曲の作曲・編曲を担当するほか、1985年、河合その子さんのソロ・デビュー曲「涙の茉莉花LOVE」の作曲・編曲を担当すると、
その後も、河合その子さんの、
- 1985年「落葉のクレッシェンド」
- 1986年「青いスタスィオン」
- 1986年「再会のラビリンス」
- 1986年「悲しい夜を止めて」
- 1987年「哀愁のカルナバル」
- 1987年「JESSY」
などで作曲・編曲を担当していることから、
仕事を通じて知り合い、仲良くなったと考えられています。

「涙の茉莉花LOVE」
後藤次利と河合その子の夫婦仲は?
後藤次利さんと河合その子さんの結婚後ですが、後藤次利さんは、馴れ初め同様、ほとんど語っていないことから、夫婦仲については不明ですが、
河合その子さんは、主婦業と子育てに専念していたようなので、穏やかな暮らしをしていたと思われます。
(河合その子さんは、1990年に芸能活動の休養を宣言し、1994年4月に、後藤次利さんと結婚していることが報じられたのですが、その時点では、すでに芸能界を引退していたようです。ただ、2010年から芸能活動を再開しているそうです)
後藤次利の子供は?
ちなみに、後藤次利さんには、最初の妻・玉井タエさんとの間に男の子が1人、現在(3人目)の妻・河合その子さんとの間に男の子が1人、計2人の子供がいるようです。
また、河合その子さんとの間に誕生した息子さんは、幼い頃、南山大学付属小学校である「南山小学校」を受験するため、小学校お受験合格を目指す「ドルトンスクール」(1歳~12歳までの幼児児童の知能開発を目的として設立された教育施設)に通っていたという噂があるようですが、真偽は不明です。
(最初の妻・玉井タエさんとの間に誕生した息子さんについては、一切情報がなく、不明です)
さて、いかがでしたでしょうか。
後藤次利さんの、
- 後藤次利の生い立ちは?幼少期はテレビっ子!中学でエレキギターを始めていた!
- 後藤次利のプロフィール
- 後藤次利は幼い頃からテレビ番組で音楽の世界に憧れるようになっていた
- 後藤次利は中学2年生の時に「寺内タケシとブルージーン」の大音量と迫力に衝撃を受けていた
- 後藤次利は中学2年生の時にエレキギターを始めていた
- 後藤次利は高校の軽音楽部で顧問の先生の影響によりジャズの音楽理論を体系的に学んでいた
- 【画像】後藤次利は若い頃ギターからベースに転向!サディスティックミカバンドも!
- 後藤次利は19歳の時バンド「ブレッド&バター」でベーシストとしてプロデビュー
- 後藤次利は23歳の時「キャラメル・ママ」の収録曲「チョッパーズ・ブギ」でのチョッパー奏法が大きな話題となっていた
- 後藤次利は23歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」のベーシストとして独特のチョッパー奏法がイギリスで絶賛されていた
- 後藤次利は23歳の時に高橋幸宏らと「サディスティックス」を結成
- 後藤次利は26歳の時にソロアルバム「ON BASS」、27歳の時に「Mr.Bassman」をリリース
- 【画像】後藤次利の若い頃から現在までの代表曲(提供曲)や経歴は?
- 後藤次利は27歳の時に作曲、アレンジ、プロデュース活動を本格化させていた
- 後藤次利は28歳の時に沢田研二の「TOKIO」で「第22回日本レコード大賞・編曲賞」を受賞
- 後藤次利が28歳~34歳の時には作曲家・編曲家として、おニャン子クラブ、吉川晃司、近藤真彦、シブがき隊、一世風靡セピアなどの楽曲を手掛けていた
- 後藤次利は35歳~41歳の時に工藤静香の全シングルと全アルバムの楽曲を担当し「MUGO・ん…色っぽい」「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」「慟哭」などをヒットさせていた
- 後藤次利は40歳の時にとんねるずに提供した「ガラガラヘビがやってくる」がミリオンセラー
- 後藤次利は40代~50代の時は「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「NNNきょうの出来事」などのテーマ音楽を手掛けていた
- 後藤次利は46歳~49歳までユニット「野猿」の全シングル、アルバム、ツアーなど全般的に手掛けていた
- 後藤次利は51歳の時にソロアルバム「do not disturb」をリリース
- 後藤次利は51歳~54歳の時にユニット「gym」「Non Chords」「WAIP」を結成し精力的に活動
- 後藤次利の現在は?
- 後藤次利の代表曲(提供曲)
- 後藤次利の前妻は玉井タエ!木之内みどりとの不倫で離婚?堀ちえみとも?
- 後藤次利の前妻(最初の妻)はシモンズの玉井タエ
- 後藤次利と木之内みどりは不倫関係となっていた
- 後藤次利は木之内みどりとニューヨークに逃避行していた
- 後藤次利も木之内みどりも共に非は全て自分にあると会見で謝罪していた
- 後藤次利は最初の妻・玉井タエと離婚が成立し、木之内みどりと入籍していた
- 後藤次利は堀ちえみとの不倫で木之内みどりと離婚していた?
- 後藤次利の3人目の妻・河合その子との馴れ初めは?夫婦仲は?子供は息子が2人!
- 後藤次利の3人目の妻・河合その子との馴れ初めは?
- 後藤次利と河合その子の夫婦仲は?
- 後藤次利の子供は?
について、ご紹介しました。
もともとギタリストだったところ、大学在学中に、高校の同級生の林立夫さんから誘われてベーシストとしてライブに参加したことがきっかけで、いきなり、ベーシストとしてプロデビューすると、
やがて、“チョッパー奏法”など独自の演奏方法でスタジオミュージシャンとして頭角を現し、その後、作曲家・編曲家として昭和の歌謡界も支えた後藤次利さん。
そんな後藤次利さんも、70歳を回る高齢となっているのですが、現在も、音楽プロデュース、講師活動ほか第一線で活動し続けており、まだまだ目が離せません!
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1971年、19歳の時、バンド「ブレッド&バター」のベーシストとしてデビューすると、たちまち頭角を現し、「サディスティック・ミカ・バンド」「サディスティックス」などでも活動すると、 その後、作編曲家へ転身し、工 …







