1970年代、フォークグループ「チューリップ」のリーダーとして活躍した、財津和夫(ざいつ かずお)さんは、幼い頃から、両親が経営する食堂があった競輪場で流れていたマーチを子守唄代わりに聴いて育ったそうで、

やがて、米軍ラジオから流れてくるアメリカンポップスに夢中になると、高校時代には、ビートルズに憧れてバンドを結成し、ビートルズのコピーを演奏していたそうですが、高卒後はパチンコをしてぶらぶらしていたといいます。

今回は、財津和夫さんが「チューリップ」を結成するまでの経緯を、ルーツや生い立ち(幼少期から高校時代まで)を交えて、時系列でご紹介します。
財津和夫

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財津和夫の先祖は熊本阿蘇地方の熊本藩士だった

財津和夫さんの先祖は、熊本藩士の家系で、特に熊本阿蘇地方にルーツがあり、財津和夫さんの祖父・緒方民平さんは、熊本藩士の家に生まれ、士族としての生活を送っていたそうですが、

西南戦争の影響で家が消失したそうで、太平洋戦争前、朝鮮半島に移住すると、農業で大成功を収めたそうです。

そして、緒方民平さんは、恩師の財津永枝さんの名を受け継ぐ形で、次男の國平さん(財津和夫さんのお父さん)に「財津」姓を名乗らせたといいます。

その後、財津和夫さんのお父さんの財津國平さんは、太平洋戦争中は、日本統治時代の朝鮮で生活をしていたそうですが、敗戦と共に日本へ引き揚げると、ゼロからやり直し、やがて、養豚場を営み、その後、福岡競輪場で食堂を開店したのだそうです。

財津和夫は幼い頃に米軍ラジオでアメリカン・ポップスを聴きアメリカに憧れるようになっていた

さておき、そんなお父さんの財津國平さんとお母さんのサイさんのもと、財津和夫さんは、5人兄弟の末っ子として誕生したそうで、

幼い頃から、食堂のある競輪場で流れていたマーチを子守唄代わりに育ったことから、自然と音楽が好きになり、やがては、米軍ラジオから流れてくるアメリカン・ポップスを聴くうち、アメリカに憧れるようになったそうです。

財津和夫は高校時代ビートルズに憧れてバンドを結成していた

また、アメリカン・ポップスだけではなく、洋楽に夢中になった財津和夫さんは、高校時代には、ビートルズに憧れるようになったそうで、バンドを組んで、ビートルズの曲を演奏するようになったそうですが、

実は、当初は、ビートルズの曲を聴いても「耳障りな音」と思うほど、興味がなかったそうで、ビートルズの映画「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を観て衝撃を受け、ビートルズにハマったのだそうです。

財津和夫は高校卒業後はパチンコに熱中していた

こうして、高校時代、バンド活動に夢中になっていた財津和夫さんですが、高校卒業後は、経済的な理由から大学に進学することができず、かといって、就職もしなかったことから、毎日、ぶらぶらしていたそうで、

そのうち、パチンコ通いをするようになると、パチンコで稼ぐことができたそうで、一時は、大好きな音楽を忘れるほど、パチンコに熱中したのだそうです。

ただ、そんな中、高校の同級生だった女の子と街で偶然出会い、財津和夫さんの近況を知ったその女の子に叱咤されたことで、一念発起し、人が変わったように受験勉強に取り組むと、見事、西南学院大学に合格したそうで、

財津和夫さんは、西南学院大学に進学後、再び、音楽活動に没頭したのだそうです。

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財津和夫は22歳の時に「チューリップ」を結成していた

そんな財津和夫さんは、やがて、プロになりたいと思い始めたそうで、1969年、21歳の時、バンド「ザ・フォーシンガーズ」のメンバーとして、ヤマハ主催の「ライト・ミュージック・コンテスト」に挑戦し始めたそうですが、

思うような結果が残せず、失意の中、1970年には「ザ・フォーシンガーズ」を解散。

ただ、同年、新たにバンド「チューリップ」を結成し、精力的に音楽活動を展開すると、地元・福岡で人気を博したことから、1971年には、再び、メジャーデビューを目指し、上京したのだそうです。

「【画像】財津和夫の若い頃(アマチュア時代から第1期チューリップ)は?」に続く

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