3枚目のシングル「心の旅」のヒットを皮切りに、「夏色のおもいで」「銀の指環」「サボテンの花」「虹とスニーカーの頃」など、「チューリップ」で次々とヒットを飛ばし、トップスターの座を不動のものにした、財津和夫(ざいつ かずお)さんですが、1979年、10枚目のアルバム「Someday Somewhere」の後には、上田雅利さんと吉田彰さんが脱退したことから、その後、新メンバーで「チューリップ」(第二期)を再始動しています。
「財津和夫が若い頃はチューリップで「青春の影」「サボテンの花」が大ヒット!」からの続き
「チューリップ」から上田雅利と吉田彰が脱退
3枚目のシングル「心の旅」のヒット以降、「夏色のおもいで」「銀の指環」「サボテンの花」「虹とスニーカーの頃」など、次々とヒットを飛ばした「チューリップ」ですが、
1979年7月20日に発売した、10枚目のアルバム「Someday Somewhere」を最後に、上田雅利さんと吉田彰さんが脱退しています。
「Someday Somewhere」
(※「私の小さな人生」をファーストシングルとしている記載もありますが、ここでは、本格的なデビューとなった「魔法の黄色い靴」をファーストシングルとして数えています。)
財津、安部、姫野、宮城、伊藤の5人で「チューリップ」(第二期)が再始動
そして、その後、「チューリップ」は、新たに、(元々、サポートメンバーだった)宮城伸一郎さん(ベース)、伊藤薫さん(ドラムス)が加入し、
財津さん、安部俊幸さん、姫野達也さん、宮城さん、伊藤さんの5人で、再始動しています。
(「チューリップ(第二期)」)
吉田彰は「チューリップ」脱退後は音楽業界から完全に引退していた
ちなみに、財津さんと吉田彰さんは、高校時代から、「和製ビートルズ」を目指し、吉田さんが脱退するまでの8年間、幾多の困難を共に乗り越えて来た盟友だったのですが、
吉田さんは、1980年に「チューリップ」脱退後は、完全に音楽業界から足を洗うと、
(吉田さんは、乃木坂に珈琲店(よしだ屋珈琲店)をオープンしていたそうですが、2011年8月6日に閉店し、現在は、インターネット通販でコーヒー豆を販売しているそうです)
財津さんたち「チューリップ」のメンバーとは一切、交流をしておらず、1997年の「チューリップ」再結成時にも、吉田さんだけ加わっていません。
(一方、吉田さんとともに脱退した上田雅利さんは、脱退後、新たに自分のバンド「Tony」を結成すると、その後、安部俊幸さん、姫野達也さんとバンド「ALWAYS」を結成しているのですが、「チューリップ」再結成時もこの3人で参加しています)
「財津和夫はチューリップ時代に吉田彰からわだかまりを持たれていた!」に続く